陶芸に関する悪戦苦陶の話
コーヒーポット(第三十三話)


今年は二月の寒い時に窯焚をしてその後出来ていない。
五月の連休に製作したコーヒーポット・友人に頼まれた花器など二窯分の作品が棚に並べられている。

今回 緋襷にしようとコーヒーポット五個・ドロッパー五個・小皿10枚・花器にわらを巻いた。

頂いた竹炭で炭還元も試みた。炭を入れる鞘(窯の中で別の作品に影響しないように作品を入れる入れ物)がなく前回素焼きで失敗した角型の大きな花器を胴体から水平面で切り使う。

知人に頼まれたコーヒーカップも五脚詰め込んだ。

昨日窯詰を終わった後、扉を閉めると何か接触する音が気になった。棚板が扉に当たっている事を確認できなかったが二列になっている左側の棚板がいつもより少し前に出ていると感じ上から三段外して組み替えた。
まだ少し当たっていると思ったがいつものいい加減差から大丈夫だろうと終了させた。

翌朝 午前一時 攻め焚きに入り1000度で棚板が倒れて大騒ぎになった夢で目を覚ました。

多摩川沿いの道を早朝二時に走しり2時半に工房に到着する。
昨夜から気になっていた扉と棚板の接触を再度確認した。確かに接触している。
向かって左側の棚板全部 作品を乗せたまま外に取り出す。左右の傾きはないが前後で上に上がるほど後ろに傾いて積み上げてあった。

接触のないのを確認し午前3時に点火した。

この窯での本焚きも回数を重ね大分慣れて来た。今回 緋襷の作品を多く入れてあるので中性炎で焚く予定にしていたがいつもの様に途中から還元炎で焚いていた。「まあいいか」で攻め焚きを続けて消火した。

次の週 窯を開けると見事に焼きしまった作品が並んでいた。「しまった」と後悔しながら焼しめの硬い感じのコーヒーポットとコーヒードロッパーを取り出した。


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2006⁄07⁄27(Thu) 21:20   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
もうすぐ御歳80歳 木工教室の先生 諸さん(第三十二話)


陶芸工房と同じ棟の隣が木工工房になっている。喫茶店・レストランなど業務上の椅子やテーブルの注文があり、木工の諸橋さんがほとんど作っている。
木材と鉄材の組み合わせたテーブルや椅子なども作る。

水曜日と木曜日に木工教室が開催されている。生徒のほとんどが定年を過ぎた60代の男性が多い。生徒には一級建築士・元喫茶店の経営者・元会社役員など現役時に重要なポストに就いていた人達が多い。

作品は各々自分で使う椅子や机、家族の人から頼まれた棚など多種多用、大きさも棚と壁の間に10cmくらいの隙間があるのでCDのラックを作るとか かなり手の込んだものもある。

諸橋さんは生徒一人一人のニーズに応え丁寧に指導する。電動鋸・電動カンナなど危険な大型の道具に囲まれている。手際よく危険の無いようにコツを伝授している。
この工房では、釘を一本も使わない。全て組み合わせによって組み立てていく。板と板をくっつける道具・カンナ・のこぎりと道具だけでも覚えきれないほど多くある。
諸橋さんに聞けばすぐにどんな道具でも出てくる。
記憶力や身のこなしや手さばきを見ているととても79歳には見えない。

諸橋さんは57歳まで米軍基地の郵便局に勤務していたサラリーマンだった。20年前に生徒としてMAio108の門をたたき木工を始めた。元々手先の器用だった諸橋さんは見る見る内に上達して西野オーナーの右腕として木工工房を任されるようになった。

60代の生徒さん達も諸橋さんから技術やコツを学ぶ時、子供のような澄んだ目になって真剣に話を聞き作業に取り組んでいる。

陶芸には作業台から手板・亀板・へら・たたき板など木製の道具が多い。
ボクも宮崎の縄文先生からへらの作り方など伝授されて少し腕に自信ある。

時間を見つけ諸橋さんに相談して今ある道具にへらなど作り追加しようと考えている。

相談に行くと「どんなのが必要なの」と聞かれる。図面を書いたり、今ある道具の少し小さいのと説明すると即座に「分かった」と言い後の話を聞いてくれない。

忙しいのだと思いそのままにしておくと2時間後くらいに「これでどうだ」とイメージどおりの道具が目の前に置かれる。

ボクは諸橋さんの指導により自分の道具を自分で作りたいのだが今のところ諸橋さんの好意甘えている。

そんな諸橋さんを鉄工の若者や木工の生徒からモロさんと呼ばれ親しまれている。






2006⁄07⁄22(Sat) 00:25   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
明日の記憶(第三十一話)


休日 京王線に乗って新宿の映画館に向かった。
電車の中で前に映画館で映画を観たのは何時だったかを考えていた。多分 ボクの記憶に間違いなければ21年前熊本勤務時代に「火宅の人」を観たのが最後だと思う。
作家 団一雄を演じた緒形 拳と障害を持つ子供の演技の場面に涙したことを覚えている。

ボクの仕事は製薬会社の営業マンである。製薬会社の営業マンはMRと呼ばれる。メディカル・リプレゼンタティブ(Medical Representative)の頭文字をとったもので、医薬品メーカーの医薬情報担当者のことを意味する。

現在 MRの仕事はより専門性を要求され領域別に担当者を配置している。ボクは年寄りと言うことでないと思うが何故か痴呆(認知症)の薬を扱う領域を担当している。

会社から「明日の記憶」のチケットを二枚頂いた。痴呆(認知症)の領域を担当するMRとして若年性アルツハイマー病をテーマにした話題作を勉強の為、観ておけと言うことらしい。

映画館の入口で映画を観終わった人達と入れ違いになった。皆 目を真っ赤にして出て来た。若い人たちもいたが圧倒的に我々世代の人が多かった。

渡辺 謙の演ずる若年性アルツハイマー病患者と奥さん役の樋口可南子の苦悩が見事に伝わってきた。

アルツハイマーと診断された後、二人の出会いが陶芸だったことで陶芸教室に通うことも興味深かった。
病状が進み重症のアルツハイマー病になった最後のシーンも若い頃の奥さんを求めて一人で奥多摩の荒廃した陶芸小屋に出かけ一夜を過ごす。迎えに行った奥さんと途中で出会う。自分の奥さんであることが記憶からなくなり渡辺 謙が「どなたか存じませんが駅まで送りましょう」という。奥さん役の樋口可南子が大泣きをする。

会場のあちらこちらで鼻をすする音が聞こえた。
ボクも隣に座っていたカミサンに分からないように涙をふいた。

帰りの電車の中でカミサンから「お父さん前に観た映画はいつだった」と聞かれボクは二十一年前「熊本で観た」と応えた。
カミサンから「お父さんは大丈夫なようね」と言われる。

アルツハイマー病の初期症状として遠くの記憶は残っていても近くの記憶がなくなることをMRとして詳しく説明した。

アルツハイマー病の初期では自分の生年月日(昔の記憶)が正しく応えられても年齢(近くの記憶)が分からなくなる。

近頃ボクは生年月日と歳を聞かれると、昭和24年1月1日生まれ47歳と応えているらしい。

軽くやばいかもしれない。


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2006⁄07⁄13(Thu) 21:23   未分類 | Comment(5) | Trackback(0) | ↑Top
土管と焼酎瓶の坂(第三十話)


昨日歩いた土管坂をもう一度歩いてみた。

土管坂は、明治時代に薪で焼かれたすばらしい色の土管と、昭和に石炭で焼かれた焼酎瓶が左右の壁に使われている。足元には、捨て輪(土管焼く時に使用した)と呼ばれる廃物が使われていて、雨のために坂が流れ崩れるのを防いでいる。

常滑の地名は土地が粘土層の為、常に滑ることから名付けられた。

やきもの散歩道では土管坂だけでなく民家の石垣にも石の代わりに焼酎瓶や土管が使われている。

石垣の石を他から運んで来るより土管や焼酎瓶を使った方が安かったのかもしれないと思った。

土管の継ぎ目をソケット式にした常滑土管は、明治の始めに考案され全国で使われた。

焼酎瓶はのみ口という注ぎ穴がついて、焼酎や醤油などを入れる容器として使用された。明治の中頃より大量に生産され全国に送られた。

焼酎瓶や土管の石垣を観ながらやきもの散歩道を歩き、国の重要有形民俗文化財の登り窯と登り窯の10本の煙突を見学した。
登り窯の近くにギャラリーと併設された喫茶店 “ほたる子”に入りコーヒーを注文した。

和服の似合う“ほたる子”のママさんから昔の常滑の様子を聞いた。
ママさんの子供の頃は煙突が400本あり、現在残っている煙突の三倍の高さがあった。
高い煙突からモクモクと黒い煙が立ち昇りいつも町は暗かった。天気の日も はっきりと太陽を見ることが出来なかった。一回の窯焚で黒い煙から終わりごろになると白い煙に代わる。子供でも煙突の色で焚き上がりが分かったそうだ。

白い煙は土管の強度を高める為、窯焚の最後に塩を窯の中に投げ入れる。塩を入れると白い煙が立ち立ち昇るので分かったと話してくれた。

土管も塩ビ管に代わり土管やタイルの生産地としての常滑は衰退して行った
高かった煙突も伊勢湾台風でほとんどが倒壊した。

子供の頃は、白い洋服を買ってもらえず子供心にこの町が嫌いだったと話しながら土管やタイルの生産で活気のあった昔を懐かしそうに語った。

ママさんの淹れてくれたコーヒーを大き目の焼き締めのマグカップで全部飲み干した。

着物の似合う笑顔のママさんから常滑がやきものと観光の町で蘇ったとボクは思った。


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2006⁄07⁄07(Fri) 05:17   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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