陶芸に関する悪戦苦陶の話
陶芸と天候「沈壽官」(第四十二話)


九月に入ったが昼間はまだまだ暑く蝉の鳴き声が聞こえる。夜になると少し涼しい風が入るようになり秋の虫の音が聞こえだした。
久しぶりに司馬遼太郎の小説 薩摩焼の第十四代沈壽官を描いた「故郷忘れがたく候」を読んだ。

内容は前に読んだ第十四代 沈壽官さんの講演録「陶房雑話」とほぼ同じものだった。
陶芸と天候について興味深い文章があった。

父親である第十三代は天気を当てる名人だったらしい。
晴雨の見定めは、窯仕事にとって大事な事であり村の人達は毎日のように沈家に明日の晴雨を聞きに来たそうだ。翁が降ると言えば必ず降る。別に秘法があった訳でなく十三代に備わった異常なほどの勘だったらしい。

村の人々は第十三代が京都帝大法学部を出ている為、大学に行けば天気が分かる様になると思っていたらしい。
第十四代は早稲田大学を卒業して村に帰った。帰ると村の人が天気を聞きにやって来た。
十四代は当然分からず「知り申(も)さん」と応えると村の老人は、「大学を出ても一向に益(やく)せんの」と大真面目に冗談を言ったそうだ。

備前では昔 窯焚は農閑期の乾燥して晴天の多い日に行われていたと記述があった。農閑期と言えば秋から冬にかけての時期になる。

サラリーマンのボクは農閑期がない。農閑期がないので週末と祝日が続いて日やゴールデンウイーク・お盆休み・正月休みにまとまった休みに窯焚をする事にしている。

ボクの窯場は、屋根があり三方が囲いになっているが雨の日 風があると雨が吹き込んでくる。裏は空き地になっているが冬場 枯れ草が高く積まれている。風の日は、火の子が飛んで火事になる恐れがある。

ボクは立川で窯焚をするようになって天気に敏感になった。作品がたまり窯焚が近くなると長期予報を気にしながら窯焚日を決めている。

風がなく雨の降らない週末がボクの窯焚日だ。猛暑の夏であろうが厳冬であろうが一向に構わない。

近頃 天気の長期予報が外れる事が多い。ボクも第十三代沈壽官の天気に関する勘がほしいと思っている。






2006⁄09⁄29(Fri) 00:51   未分類 | Comment(5) | Trackback(0) | ↑Top
三輪壽雪[第十一代三輪休雪](第四十一話)


9月の中旬になると蝉の鳴き声の数がめっきり減ったが残った蝉は力強く鳴いている。

蝉の声を聞きながら皇居東御苑、北の丸公園の中にある東京国立近代工芸館に向かった。

東京国立近代工芸館では7月15日から9月24日まで「萩焼の人間国宝 三輪壽雪の世界」展が行われていた。

展示されている191点の作品は茶碗をはじめ水指・花入れなど茶道に関する作品が多い。作品には作陶された年代が書かれていた。

陶号も「休」から「休雪」、「休雪」から「壽雪」と改名している。

「休」時代の60歳代に作られた萩茶碗は上品で見事な姿をしている。高台も本来の役割であるボディーの引き立て役に徹し小さく作られている。

茶碗は萩焼の優しさに荒々しい力強さが年代を重ねるごとに加わり、益々円熟味を醸し出し進化して行った過程が読み取れた。

三輪壽雪は昭和58年(1983年)73歳で重要無形文化財(人間国宝)に認定され、その後の作品が更に力強さを増している。

80歳代に入り茶碗の部品が勝手に増殖を始めたような形になっていく。特に高台は本来の役割を忘れたかのようにこれでもかこれでもかと増殖を続けている。「壽雪」と改名した93歳からの作品は何か全てが吹っ切れ、茶碗の形をした大きなオブジェになっていた。

今年 96歳の人間国宝の手から生まれた大きな茶碗をしばらく見つめた。

萩の白い釉薬がめくれ高台は高く大きく横に広がっている。
残雪の間に黒い地肌が見え春を感じる大山の景色をした大きな茶碗がそこにあった。

茶碗が「くよくよするなよ」「もっと肩の力を抜いて」「あるがままでいこうよ」と語りかけているように感じた。

薄暗くなった北の丸公園の森を通って九段下の駅に向かった。
昼間鳴いていた蝉の声に代わり蜩(ひぐらし)がカナカナカナと静かに鳴いた。
公園の草むらからは元気な秋の虫の音が聞こえた。

作陶する時、ボクは「Never too late」の言葉で自分を励ましている。
57歳のボク「Never too late」の思いをさらに強くして北の丸公園を後にした。

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2006⁄09⁄20(Wed) 20:39   未分類 | Comment(4) | Trackback(0) | ↑Top
耀変天目(第四十話)


宮崎で陶芸を始めた頃、新聞で耀変天目に成功したという記事を見た。宮崎空港の展示場で展示していると紹介されていた。
宮崎空港へ すっ飛んで行き耀変天目茶碗を観たことがある。その時 耀変天目を始めて観たが感激がなかった。少しキラキラ輝く釉薬だなとしばらく見つめたが普通の茶碗にしか見えなかった。

広辞苑に「耀変天目茶碗は中国、福建省で南宋時代に作られた天目茶碗のひとつ。漆黒釉面に大小の星紋が浮び、そのまわりが玉虫色に光沢を放つ。天目で最上のもの」とある。
耀変天目茶碗は日本に4個あり3個が国宝に指定されている。

お盆前に焚いた窯で長さ40cm・幅15cmの くるみ灰釉薬を掛けた変形皿を二個取り出した。良い出来上がりだったが大きいほうの皿に二箇所釉薬が剥がれていた。

教室の先生が教室の電気窯で酸化焼成をすると言うので剥がれた処に釉薬をつけて焼き直し頼んだ。

週末 教室に行くと電気窯から取り出されたクルミ灰変形皿が作業台に置かれていた。いやにテカテカするなと思いながら修復したところを点検した。異常がないようでそのままにしてロクロに取り掛かった。

ロクロを挽きながら作業台に置かれたクルミ灰変形皿の光が気になった。

ロクロから離れてもう一度クルミ灰変形皿を持ち上げて角度を変えながら眺めてみた。

今まで見たことの無い輝き方をしている。もしかしてこれが耀変天目ではないかとボクは思った。
玉虫色に輝いているのだ。

周りの人に見せたが「綺麗ですね」以外何も云わない。

日曜日の翌朝 花峰窯の陶芸博士 渡辺先生に見ていただいたが面白い形ですね以外何も云わない。

「耀変天目はどんな色をしているのですか?」と投げかけてみたが耀変天目に挑戦している人の話しか出てこなかった。

ボクの耀変天目は黒い釉薬の表面に星を思わせる「星紋」が散らばり、周囲にプリズムのような「虹彩」が美しく広がるとはいかないが玉虫のような輝きはある。

ボクは今でも大変な物を創ってしまったのではないかと思っている。


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2006⁄09⁄14(Thu) 20:45   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
故郷のわら灰(第三十九話)


昨年のお盆に帰省した時、数年前に郵便局員から脱サラして農業を営んでいる先輩のお宅で食事を頂いた。
ボクが子供の頃、何処の農家でも稲作・野菜・椎茸栽培に炭焼きが行われていた。

サラリーマンを永くやっていた先輩の事、趣味の家庭菜園に毛の生えた程度の農業をしていると思っていたが見事に当時を再現させていた。

先輩にわら灰釉薬の事を話し秋に米を収穫した後、わらを焼いて灰を送ってもらう約束をした。
農業が毎日忙しいのは子供の頃から見ていたので充分知っているが故郷の藁灰(わらばい)で作った釉薬を作りたいとお願いした。

昨年の暮れに大きなビニール袋に詰められた藁灰が送られてきた。
正月休暇に水簸(すいひ)して約2kgの藁灰を作り土師(豊後大野市大野町中土師)藁灰釉に備えた。

窯焚の度に幾つかの組み合わせで藁灰釉を調合してテストピースを焼いた。

ほとんどがマット調の釉薬になりボクの目指している釉薬から程遠い失敗作の連続だった。

7月に窯を焚き、続いて8月のお盆前に窯を焚いた。今回 藁灰の8番目と9番目のテスト釉薬をぐい飲みに掛けて焼いて見た。

No8 土師藁 30%   長石50%   松灰20% 木節(外10)

No9 土師藁 33%   長石33%   松灰33% 木節(外10)

粘土は信楽特赤と安2号(信楽土を三種類ブレンド)を使った。

次の週に窯出から取り出した。

No9は白くなく黒い艶のあるぐい飲みが出て来た。
手元に土灰の持ち合わせがなく松灰を代用させた事と信楽の特赤の鉄分が大きな原因のようだ。

昨年のお盆 東京に帰る朝5時 もぎたてのキュウリと茄子を持って返れと云われ畑に行った。作業服に地下足袋(じかたび)姿で作業をしている先輩を見た。郵便局員を潔く脱サラしたカッコイイ後藤和男さんがそこにいた。









2006⁄09⁄08(Fri) 05:30   未分類 | Comment(8) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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