陶芸に関する悪戦苦陶の話
ボクの故郷「3」(第五十五話)


昨年の暮れ、わら灰を袋いっぱい送ってくれた先輩のお宅にこのわら灰で作ったぐい飲みを持ってお伺いした。

先輩の兄弟と従兄弟が集まっていた。お昼に親戚の法事があり、帰りに先輩宅に集まったそうだ。

まあ 「みっちゃん 上がんない」と皆 昔のままの顔で囲炉裏のある居間に上がるように誘ってくれた。

法事でお昼からお酒を飲んだようで皆テンションが高く「元気な」「どげーしちょった」「今 どきおるんな」「今 何しちょんのな」「定年はいつな」と故郷の懐かしい言葉で質問攻めにあった。

ボクも「元気にしちょるで」「今 東京におるんで」「定年まで後二年になったけん週末は陶芸をしよるんで」と詳しく話した。

この村では古くからある屋敷は苗字で呼ばず屋敷に名前がついている。「だい」「さこ」「ゆば」「しんたく」などと呼ばれる。個人を呼ぶ場合、「さこのよっちゃん」「ゆばのとしちゃん」と土地の名前に個人の名前をつけて呼ぶ。

先輩のお宅も古くからあり「まつびら」と呼ばれていた。先輩は「まつびらの和さん」長男は「まつびらの武ちゃん」三男は「まつびらの今朝ちゃん」

「まつびら」は 代々優秀な家系で三兄弟ともクラスで一番勉強ができた。

子供の頃、教育熱心だったボクの母親も「まつびらに遊びに行く」と言うと機嫌よく送り出してくれた。

まつびらは山の中腹にあり見晴らしがよい。牛が通れる狭い坂道を駆け上がると牛小屋がある。丑年生まれのボクはまず牛の額を撫でて挨拶をする。牛も嬉しそうにモーと返事をする。

ツボ(庭)を通り家の中に入る。ばあちゃん おじちゃん おばちゃんがいて何時でも温かく迎えてくれた。
いつも かまどの上のなべにサツマイモがいっぱいゆでてあって、おやつにそれを頂いた。

先輩は数年前に郵便局を退職し、ここに生活の場を移すことを決意した時、家の改築を始めた。居間の壁紙をはがすとボクの書いた落書きがでてきたそうだ。
そんな昔話に夢中になっていたら、あっという間に時間が過ぎ外に出る。
真っ暗で何も見えない。

懐中電灯で足元を照らして坂道を下っていった。今は車一台通れる広い道になっていた。
明日は 一晩中 暗くならない町に戻る。


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2006⁄12⁄28(Thu) 00:56   未分類 | Comment(3) | Trackback(0) | ↑Top
ボクの故郷「2」(第五十四話)


今年 NHK BSで「男はつらいよ」が土曜日の夜9時に放映されている。
ボクは映画館で寅さんを観たことがないが民放で放映された寅さん映画を何本か観て、寅さんの魅力に取り付かれている。今年の前半 1巻から24巻まで放映された。後半の25巻から48巻は8月5日から毎週土曜日の夜放映されている。ボクは毎週土曜日の夜を楽しみにしている。

この映画の魅力は誰にも真似が出来ない寅さんの生き方、寅さんを取り巻く葛飾柴又の人情がある。ボクにとって この映画の一番の魅力は映画に出てくる僕らの若い頃の風景を観られることにある。寅さんの映画を観る度にいつも郷愁を感じている。

寅さんが葛飾柴又に帰るようにボクは毎年故郷の大分県大野町に帰っている。

寅さんは毎回 マドンナが変わるがボクは変わらない。マドンナは変わらないが一緒に帰る人数が変わって行った。
最初はボク一人、そしてマドンナが一緒、その後一人増え、二人増え、三人増えと合計5人でポンコツの小さい車でお盆やお正月に帰省した。
子供達は大きくなり帰省について来なくなった。近頃は年老いたマドンナも付いて来なくなりボク一人帰省する事が多くなった。

昭和50年代から人口減少が加速され子供がいなくなった。ボクの卒業した中学校が閉校され、小学校も閉校された。そして平成14年には大野町に一校あった大分県立大野高校も閉校された。

廃校になった高校が公民館になっていた。公民館に故郷の情報を集める為に訪問した。町の歴史が大分県大野町史にまとめられてあった。

大分県大野町史に母校の高校があった大野原台地一帯は縄文時代以前の旧石器時代(一万二千年前から数万年前 土器のない時代)から人が住んでいたことが記されている。

ボクは高校時代 考古学クラブに所属し活動した。土曜日の午後から日曜日にかけて石器の表面採集をする為に近くの畑を探索した。
鏃(やじり)・石斧・ナイフ型石器など多くの石器を畑から採集した。

この大分県大野町史にボクの高校時代活動した考古学クラブの旧石器時代の研究成果が記されてあった。ボクの卒業した昭和42年には後輩達の活動によって母校の校庭から大野高校校庭遺跡を発見したと記されていた。

母校のある大野原台地一帯は旧石器文化に続いて縄文文化・弥生文化が栄えたところで多くの遺跡から縄文土器や弥生土器も発掘されている。

ボクは当時石器ばかり探し回っていて畑に落ちている土器の破片には目もくれなかった。40年経った今 石ころには目もくれず土器ばかり創っている。

もしかして40年間にボクの物に対する感性は数万年進化したのかもしれない。



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2006⁄12⁄21(Thu) 20:53   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
ボクの故郷「1」(第五十三話)


羽田から最終便で大分空港に着いた。レンターカーで故郷に向かう。
空港道路から大分自動車道を走る。左に雨にかすむ別府温泉の街の灯りが見え始める。高崎山の裏を通り大分の町の灯りを見ながら南下する。大分米良インターで国道10号線に入り、豊後大野市(旧大野郡)犬飼町で国道57号線に入る。豊後大野市大野町浅草から大分県道41号(大分大野線)に入る。ポッツ・ポッツと見えていた民家の灯りもなくなり真っ暗な世界である。師田原ダムの街灯の灯りがかすかに見える。山道を登ったところに一軒家があり、ここから下りの道とさらに登りの道に分かれる。この分岐路を下ったところがボクの故郷だ。

昭和42年 18歳の春 ボクは近所の人や家族に見送られバスに乗ってこの村を出た。

標高200mから600mに点々と集落がある。ボクの育った村は四方が山に囲まれた標高300m位のところにあり、冬はすごく寒い。

寒い冬が過ぎる頃、山菜が芽を吹き始める。3月に入るとナバ(椎茸)の収穫で村が賑わい始める。山桜が咲き、桜が満開になる。山が薄緑に輝き始めサツキやツツジが咲き乱れる。6月に入り山の緑がすっかり濃くなった頃、川の上を蛍が川幅いっぱい帯状になり乱舞する。棚田には水が満たされ、段々と濃い緑に変わっていく。
夏にはカジカの鳴き声や夏の虫の鳴き声が夜明け前から一日中時間を追って色んな種類の虫の合唱が聞こえてくる。
虫の音が静かになった頃、山々が赤く色づいてくる。棚田が黄金の色になり収穫が行われる。山々が赤から茶色に変わり寒い冬がやってくる。

この村にダムが建設され道路が拡張された。小さな小川にも砂防ダムが建設され、河川は河川工事で大きな石が取り除かれ清流が一変した。山は落葉樹のクヌギ林から杉林に植え替えが進み、ボクが育った子供の頃の景色と全く違ってきた。

この村を出た者が変わっていく故郷を嘆いてはいけないのだが便利が良くなった分、失ったものも大きいとボクは感じている。
家に着く頃、小雨の為 辺りは真っ暗闇で何も見えない。

天気だと手の届く くらいに無数の星が見える。星明りが真っ暗な山を照らす。満月の夜は、月明かりで木々の隅から隅まで明るく照らす。

村を出て40年 毎年 1回から2回帰省している。40年間 景色は大きく変わったが綺麗な空気と綺麗な水は変わらずボクを迎えてくれる。

一年中 旅をして柴又に帰ってくる寅さんのようにボクもこの故郷に戻り、いつもホッとする。



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2006⁄12⁄14(Thu) 21:43   未分類 | Comment(4) | Trackback(0) | ↑Top
ひょうたん型 ランプ「インテリア フェスティバル(4)」(第五十二話)


月曜日から水曜日まで宿泊の会議があり、そのまま帰郷のスケジュールで大きなキャリーバッグを引っ張っていた。
水曜日の午前で会議が終了し、幕張の会議場から羽田空港に行く途中 豊洲(江東区)からタクシーで東京ビッグサイト向かった。

タクシーの前方に東京ビッグサイトの大きな建物が見えて来る。本当にこんな大きな建物の中にボクの作品が置かれているのか心配になってきた。

東京ビッグサイト西展示場の玄関に着いた。入口ゲートが4列あり、それぞれのゲートが20人位の順番待ちになっていた。羽田に行く時間を気にしながら順番を待つ。受付で会社名・氏名・住所を記入し、首から名札をかけ入館する。

一階のインフォメーションでMAio108のブースを聞き、探し回るが見つからない。大勢の中を大きなキャリーバッグを引っ張っているので中々自由に動けない。とにかく会場が馬鹿でかいのだ。

「インテリア フェスティバル2006」は社会法人日本インテリアファブリックス協会が主催する「第25回JAPANTEX2006」の特別協賛で展示していた。

「第25回JAPANTEX2006」の出展者数は14カ国・317社(国内222社、海外95社)とてつもなく大きな催しのようだ。

汗をかきながら探し回るが見つからない。途中で4階にも会場があることに気が付き、中央のエスカレーターで直接4階まで昇った。

昇ったところに西野オーナーが製作した扉がインテリア フェスティバル2006のパッブリックスペース会場の入口として設営されている。横尾 勘と大森太郎の製作した高さ4mの鉄製の建具がインテリア フェスタの展示場のゲートとして左右にそびえている。

今回 MAio108のブースでは 和をテーマに西野オーナーがコーディネートした。

ブースの壁二面に西野オーナーの製作した漆喰の壁で、その中央に銅版製のドアがある。ブースは白と黒の砂利が縞模様に敷きつめられている。ブースの右隅に三宅直子製作の白い大ひょうたん壷がある。ブースの前に広瀬春奈が製作した鉄製のテーブルが配置されている。

ブースの左端にボクの製作した小さなひょうたん型壷がチョコット遠慮うがちにあるではないか。

高さ28cmの小さなひょうたん型壷の口の部分にランプが灯され、頭には大森太良が製作した鉄製の傘が被されている。

この会場で展示されている作品は全部プロが製作したものであり、企業のチームが製作したものである。
多分 この広い空間でアマチュアの作品は、ボクの製作したひょうたん型壷一個であろう。

プロの製作した鉄製の傘を被って、ひょうたん型壷の姿は三分の二くらいしか見えないがボクには大きく、おおきく見えた。

大きなキャリーバッグを引っ張ってボクは羽田に向かい東京ビッグサイトを後にした。


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2006⁄12⁄07(Thu) 21:19   未分類 | Comment(4) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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