陶芸に関する悪戦苦陶の話
エコ活動の普及(第六十話)


暮れから窯の調子が悪く工房で途方にくれていた。五日に鉄工の大森太良が愛車の赤いバイクに乗ってやってきた。

工房の中でしょげ返った老人の姿を見て気のいい太良ちゃんは「どうしたんですか」と声を掛けてきた。昨年の暮れからの窯騒動を一部始終話す。
すぐに窯からバーナーを外して修理してくれた。

正月休暇にわざわざボクの助っ人として工房に現れたわけではない。

バーナーを修理した後、ボクの淹れたコーヒーを飲みながら太良ちゃんがボソ・ボソと話し始めた。

ボク:今日は自主制作?
太良:ダンボールで車を創るんです。
ボク:何に使うの
太良:俺も良く解らないんです。友達からエコ活動の一環で頼まれたんです。
ボク:何ソレ
太良:このまま地球が温暖化して行くとマーシャル諸島が沈むらしいんです。
ボク:マーシャル諸島 テレビで島が沈むと言っていたけど・・・それ・・・
太良:うん

何だか話が良く見えないまま軽トラで材料を買うと言って出て行った。
夕方 木材とダンボールを軽トラに満載して帰って来た。

5日から8日まで四日間で創るらしい。次の日 工房に着くと長さ5m・幅1m・高さ1・5mのバスの形をした木でできた骨組みが出来ていた。
午後から助っ人(多摩美術大学時代の同級生)が二人現れ、ダンボールを貼る作業に入った。

芸術家の彼らにとってこの様な作品を創るのは簡単なようだ。ただ この大きな作品を一度組み立てて運ぶ為に5個のパーツに分ける作業が大変なそうだ。
展示場では組み立てる時間が1時間しかなく簡単に組み立てられるように工夫している。大変な作業に見えるが三人とも楽しそうに製作していた。

次の土曜日(13日) 工房に着くと太良ちゃんが眠そうな目をして椅子に座っていた。

今回 製作したダンボールバスの目的と活動内容の説明書を見せてもらった。

エコ活動普及の為、「EMMAN」と言う会を五人の発起人が立ち上げた。
その活動の一環として1月12日(金)午後11時30分から午前4時まで渋谷の「liquidloft」でパーティーを開催した。

パーティー会場に今回製作したダンボールバスが展示され参加者が思い思いにエコについてペインティングしたそうだ。

若者達が未来の地球の為に活動を開始したのはよく理解できた。パーティーの報告書や会の概要を書いた案内文はさっぱり理解できない。

「<Urban都会> <Hippie自由> <Lohas自然> この三つのキーワードを柱に検討する。それをきっかけに出てきたのがダンボールや空き缶を使った装飾品(大森太良案)。現在の日本は飽食大量消費時代で六本木界隈では夜な夜なラグジュアリーなパーティーが開催されている。そのアンチテーゼ的な意味を込めて、その対極にある身近にある質素な素材を生かして楽しいパーティーへ行き着く」

んー難解であるが若者達はキット良い事をしているのだと思った。

ボクもエコ活動には数年前から大きな関心がある。毎日の生活で無駄な水や電気を使わないなど自分で出来る事を実践している。

次回は三月に開催されるらしい。
報告書に参加者の平均年齢29歳、男女比 6:4とあった。若い女性がいっぱい居そうだ。参加してみるか・・・いや 決して若い女性に会いたいからでない。ボクはエコに興味があるのです・・・本当です。

開催時間が夜中の11時30分からはボクの寝ている時間。朝の3時には目が覚めるので4時ごろには参加出来るかも知れないが少し無理がありそう。 
少し行って見たいがボクの参加によって平均年齢を吊り上げそう。やっぱり止めておこう。


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2007⁄01⁄31(Wed) 20:26   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
年末・年始の窯焚騒動「2」(第五十九話)


花峰陶芸倶楽部の教室始めは正月十日からだ。五日に花峰陶芸倶楽部に伺うと渡辺先生は書き物をしていた。お邪魔し昨年末からの騒動を話す。

先生から「良くある事です」「煤が溜まったら火穴から針金を入れて煤を払うと良い」「右と左のバーナーから同じ状態で炎がでることはない」
とボクが思っているより大変な事態ではないようだ。

渡辺先生は年間60回から90回位 窯焚をする。
花峰窯はマンションの一階にあり煙騒動など色々なアクシデントを経験している。煤が溜まったくらいで大騒ぎしているようではまだまだと言いたい様子。
隣で奥さんがバックファイヤーした時の様子を話し始めた。

「私 驚いて水をかけようとしたら しかられたのよ」「1m位炎が噴出したのよ」「どうしょう花さんの窯は周りに何もないそうだから良いわね」

周りに何もなければバックファイヤーしても大丈夫ということはないだろうと思いながら話を聴いた。

修理に出した方が良いと云うアドバイスを頂けないままに花峰窯を出た。
先生から「忙しいので修理の手伝いが出来ずにすみません」と言葉を頂いた。

立川の窯に車で戻りながら 「ということは自分で修理せよ」と言うことかと始めて気が付いた。

MAio108の工房に戻ると鉄工の太良ちゃんが自主制作でやってきた。機械に強い太良ちゃんに頼みバーナーを取り外して修理することにした。

意外と簡単に外れた。中も意外なほど単純な構造になっている。煤を掃除して試しに点火する。異状のない事を確認するし、取り付けた。

1250度の温度を生み出す機械でボクの中には神器という位置づけがあるが
構造が単純で驚いた。

単純な構造だからといって軽く操作をしてはいけないと改めて気持を引き締めた。
1250度の高温を生み出す機械なのだから。
土を石に変える神器なのだから。
土から芸術作品を生み出す神器なのだから。
これからもより慎重に注意深く窯焚をする。

プロとしてバーナーの修理を始め、全ての管理を自分の手でやらなければいけないと思った。

窯の神様にお供えをして7日 早朝4時に三回目の点火をした。



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2007⁄01⁄24(Wed) 20:45   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
年末・年始の窯焚騒動「1」(第五十八話)


晦日の早朝 2006年 五回目の窯焚をするため多摩川沿いを工房に向かった。
午前三時に点火する。

一週間まえに素焼きをした時、向かって左側のバーナーがいつもより多くの空気を送らなければ窯から煙がでた。

素焼きの時から気になっていた 向かって左側にバーナーの風量を多くしてあぶりを開始した。

11月の窯焚で作品が壊れ バーナーの穴に破片がいくつもあり窯焚の前に充分に掃除をしたつもりだったが充分でなかったかと後悔しながら続けた。

午前11時に950度までは ほぼ順調に昇温していった。950度で還元炎に切り替え炎の様子がいつもと違う。炎がいつもより赤黒く上に上がらず渦巻いている。温度の上がりも遅い。ひと時も窯場からはなれず煙突の煙や窯の周りをチェックした。不安がボクの中でどんどん大きくなった。
午後二時 1200度になり、1250度まで後50度のところまで来た。もう少しと思っていたら温度が上がらなくなり温度計の数字が下がり始めた。

火穴から見る炎が益々渦巻いている。1200度を越すと炎の色が白く輝くのだが赤黒く不気味な色をしている。異常事態に備えて水槽に水を貯め、バスタオル3枚を水に浸した。消火器の操作方法を再度確認した。

煙突の煙を何回もチェックする。火穴から何度も炎の様子をチェックするが対応方法が分からない。

窯の前でおろおろしているとバーナーから逆噴射された炎がチョロチョロ見え始めた。ボクは頭の中が真っ白くなり急いで元栓を締めバーナーを止めた。

今年最初の仕事は生焼けの作品を取り出し、掃除機でバーナー孔の掃除から始まった。
掃除機のホースがボコボコボコと不気味な音を立て破片を吸い込んでいった。掃除機の中を見ると驚くほど大きな黒くなった破片が多数出て来た。

掃除が終わり恐る恐る 空の窯の扉を開いたままバーナーの点検の為、点火して炎の様子を見た。30分ほど様子を見たがどこにも異状はない。原因はバーナーに詰まった破片だったようだ。

生焼けの作品を再度窯詰めする。
正月五日の早朝 午前4時に点火する。一時間位すると左のバーナーからボ・ボ・ボと異常な炎が吹き始める。即座にバーナーを止めて窯焚を再度中止する。
前回の事がありこれ以上続ける勇気がなかった。

いつもの様に窯焚の前にお神酒・お塩・昆布・魚をお供えして火の神様には手抜きはないはずだった。

何が問題か分からぬまま暗い気持で窯焚の神様である府中市の花峰陶芸倶楽部 渡辺先生を訪ねた。






2007⁄01⁄18(Thu) 04:57   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
相田みつを(第五十七話)


何年も前から居酒屋さんのトイレで親近感ある曲がった書体で短い文書の短冊が気になっていた。

西東京市(旧田無市)の骨董屋さんでこの短冊を見つけた。大きいものから小さいものがあり小さいものを一冊購入した。

相田みつをと言う人の書いたものである事を知った。これが日めくりのカレンダーであることも この時に知った。

1の「いまからここから」から始まり31の「おかげさん」まで薀蓄のある言葉が綴られている。

最後のページに相田みつを美術館が東京フォーラムにあると案内があった。

お正月の陽気に誘われてふらふらと東京フォーラムに出かけていった。
相田みつを美術館は東京フォーラムの地下一階にあった。第一ホールと第二ホールの二箇所にセパレートされた展示場になっていた。部屋がいくつかに分けられ各部屋の照明も暗めで落ち着いた雰囲気の展示場だった。

相田みつをが書道家であることをボクはここで知った。

いくつかの作品は、書道家らしい素晴らしい書体で漢文が書かれている。書というより絵と思えるような作品が展示されている。なるほど書道家だと改めて感心しながら観てまわったが、ほとんど親近感のある文字でひらがなの多い文書である。

戦後 相田みつをは、「相田光男」から「みつを」にした。文字もひらがなの多い文書にしたそうだ。子供でも誰でも分かりやすい書体で書いた。

一つひとつの言葉が人生訓にも見えるが嫌味がなく自然に体の中に入っていく。
相田みつを美術館館長 相田一人氏によると常に自分自身に発信した言葉だそうだ。

ボクは子供の頃から字を書く事が一番の苦手だ。生まれ付いた悪筆なのである。作文の授業のある日は登校拒否を起こしたくなるほど苦手だった。
この世にワープロがなかったらエッセイなど書く気にならなかったと思う。
今でもメモ書き一枚パソコンに頼っている。

相田みつをの書体を観て大変親近感を感じる。金釘を曲げたようなボクの字に似ている。

下手な書体はこのままで良いのかもしれない。ボクもこれからは手書きで書こう。

作品の中に「一生勉強 一生青春」とあった。

もうチョイト 読みやすい書体を勉強しよう。



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2007⁄01⁄10(Wed) 20:27   未分類 | Comment(1) | Trackback(0) | ↑Top
初詣(第五十六話)


穏やかな天気の中で新年を迎えることができた。
お雑煮を頂き、氏神さまの青謂神社にお参りした。

元旦生まれのボクは、今年58回目の誕生日を迎え37年勤めたサラリーマンも後二年で定年になる。

定年後 茶碗屋(陶工)になることを決めているがまだどこかに将来の不安がある。
何故か寅さんに会いたくなり初詣に柴又帝釈天を訪れた。

帝釈天の境内に入るとゲンちゃんが掃除をしていて縁側にさくらさんと御前様が寅さんの話をしている。
「男はつらいよ」の映画シーンを思い出しながら廻った。

あいにくゲンちゃんもさくらさんも御前様も留守のようで会うことが出来なかった。寅さんも商売で旅に出ていて不在だった。

寅さんは生涯 テキ屋(的屋)を貫いた。
テキ屋は 街商(がいしょう)、大道商人、香具師(やし)とも呼ばれる。
祭礼 縁日の境内や参道で商売をする。

屋台をだして食料や玩具を売る三寸(露天商)。
広い場所で口上を以って客を集め商品をうるのがコロビ。
小屋がけのみせものがタカモノ。と分類される。
他にコミセと呼ばれる伝統的なグループがあると言う説があるが明確な根拠がない。

「男はつらいよ」に出てくる寅さんは、テキ屋家業の中のコロビに分類されるらしい。

寅さんの口上にはいつも人が集まる。ボクは寅さんの口上が商売人の最高級のアプローチトークだと考えている。お客様に商品を売る時、つかみ(アプローチトーク)・説明・懇請(クロージング)があり、ボクは最初のつかみが一番大切だと考えている。

「結構毛だらけ猫灰だらけ あんたのけつは糞(クソ)だらけ」

「もののはじまりが一ならば、国のはじまりが大和の国、島のはじまりが淡路島、泥棒のはじまりが石川の五右衛門なら、助平のはじまりが小平の義雄 」

「色が黒い表紙 色が黒いか黒いが色か 色で惑わす万だの桜、色が黒くてもらい手なけりゃ 山のカラスは後家ばかり 色が黒くて食いつきたいがわたしゃ入れ歯で歯がたたない」

映画の中の渥美清さんがいつも胸のすくような口上を述べる。
ボクはこの口上にあこがれている。全く知らないお客さんに対して口上一つで商品を売る。

ボクも永い事 薬屋の商売をしているが 商売では寅さんの足元にも及ばない。一見客に対して一回の口上で商売を成立させるなど神業である。まだまだ薬屋として修行が足りないと感じている。

二年後 薬屋から茶碗屋へと転業を考えているがもう少し薬屋の修行に頑張らなければと柴又帝釈天に手を合わせて境内を後にした。


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(新年のご挨拶)
明けましておめでとうございます。

旧年中はエッセイ「窓際の陶芸家」を読んで頂き大変ありがとうございました。
本年も陶芸とエッセイ、薬屋も少しだけ精進したいと考えております。

宜しくお願い申し上げます。

                           安東道正





2007⁄01⁄03(Wed) 04:14   未分類 | Comment(6) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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