陶芸に関する悪戦苦陶の話
壷屋焼(2)「骨壷」(第六十四話)


朝 ホテルで沖縄タイムスに掲載されていた「一つの墓に夫婦仲良く」という見出しの記事を読んだ。
早稲田大学 古代エジプト調査隊 吉村作治客員教授がエジプトで古代エジプトの夫婦の木棺を発見した記事だった。

やちむん通りには沖縄の焼物を並べたお店が軒を連ねている。

その一つのお店に「骨董専門店」と書かれていた。何でこんな焼物の町に骨董屋があるのか不思議で覗いてみた。四角や丸い形をした蓋付きの壷が狭いお店いっぱいに並んでいる。どうも骨董屋にしては新品でピカピカした壷ばかりが並べられている。

壷専門の骨董かとよく看板をみると「骨壷専門店」と書かれていた。

お店のキャッチコピーに
厨子がめ(シーシーガーミ)
「骨壷です。
 昔は風葬・土葬の後に洗骨して収めましたので大きい骨壷が必要でしたが今では火葬の後お骨を収めますので大きい骨壷の需要は少ないです。
 ちなみに当地には
 “みーとぅんだーカーミーぬちびてぃーち”
 (夫婦) は (骨壷)の(底)も(一つ)だよ
 と言う諺があり骨壷も夫婦用がございます」
とあった。

一昔前 「成田離婚」と言われ性格の不一致とかで若い人の離婚が問題になっていた事がある。昨今 「定年離婚」とか「熟年離婚」とか言われ一緒の墓に入るなんてとんでもない言う夫婦が多いそうだ。

2003年の第一生命の40歳から79歳 男女の意識調査によると
夫婦は同じ墓に入るべきの質問にそう思うが
全体   35.7%
男性   42.2%
女性   29.4%
とあった。

女性より男性の方が同じ墓に入りたいと思っている人が多いようだ。

現在 沖縄は数少ない人口の増加している県という。子供の数も多そうだ。多分 夫婦仲の良くお墓まで一緒と考えている夫婦が多いのだろう。

帰宅して朝日新聞の同じ記事の見出しを見た。
「永遠の愛の眠り」とあった。

沖縄タイムスの見出しの方がボクは好きだな・・・
うちのカミサンはどちらなのだろうか?


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2007⁄02⁄28(Wed) 23:07   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
壷屋焼(1)「浜田庄司」(第六十三話)


沖縄に向かう飛行機の中で陶芸の週刊誌「やきものを楽しむ・壷屋焼編」で壷屋周辺の情報をチェックした。

「やきものを楽しむ」の窯場と周辺案内図に新垣製陶所があった。ここに主人の見事なろくろの技を見る事が出来る(要予約)とあった。

朝 宿泊先のホテルから電話を入れると「すでに作業が始まっているので何時でもどうぞ」と言われ、急いで荷物をまとめ車で向かう。

ひめゆり通りの壷屋バス停で車を降り壷屋(那覇市)のやちむん通りを歩く。二つ目の路地を入ると新垣製陶所があった。入口は狭く民家の裏門のような所から中へ入った。作業場は入って真向かいと左側とに二棟あった。真向かいの作業場で腰の曲がったおばあちゃんが作業をしていた。入った右手にロクロ場があり、主人の新垣 勲さんがロクロを回していた。

三日月型をした酒器の抱瓶(ダチビン)を製作していた。抱瓶は三日月の胴体の上に小さな注ぎ口とお酒を入れる大きな口がある。昨日作られた胴体に大きいほうの口を取り付けていた。三日月型の胴体を立てた状態で固定し直径3cmくらいの穴を開け粘土で口を取り付けていく。見事な手さばきで次から次と出来上がっていく。

二時間くらい立ったまま見学した。作業中に声をかけても良いと言われ幾つか質問した。質問には丁寧に答えて頂いたが質問以外の話は何も聴けなかった。

ロクロ場の上に掛かった額に入ったロクロを挽く人物の写真が気になっていた。古めかしい写真から本人ではなさそうで先代の写真だろうと思ったが写真の人物が益子焼の巨匠 浜田庄司*に似ている。

恐る恐る「この写真は」と聴くと新垣さんは「ハマダショウジ ヨ」と言う。
ボク:「あの有名な浜田庄司ですか?」
新垣氏:沖縄弁で「ソウ ハマダショウジ ヨ、毎年12月から2月までそこでロクロを挽いていた」
新垣さんの横に一人分のスペースがありそこで挽いていたと言うのだ。
浜田庄司が亡くなる7年位前まで毎年壷屋(那覇市)のこの作業場に来て作陶していたと言う。新垣さんが高校生の頃まで来ていたとボソッと話した。10年以上は来ていたらしい。

作業場の路地から「やちむん通り」に出たところに新垣製陶所のお店があり新垣さんの製作した抱瓶(ダチビン)とぐい飲みを買った。

お店のおばちゃんに「浜田庄司が来ていた作業場だそうですね」ともっと詳しく知りたくて聴いた。作業場にいたハルおばさん(島袋ハル)は浜田庄司さんと一緒に作業していたので詳しいと教えてもらった。

もう一度 買い求めた抱瓶とぐい飲みの袋をぶら下げて作業場に戻り、腰の曲がったハルおばさんに浜田庄司の話を伺った。

ハルオバサンは75歳のお婆さんでニコニコと応対してくれた。ニコニコしているが口数か少なく、うちなー口(沖縄弁)のため聞き取れず、それ以上の話は聴けなかった。


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*浜田庄司 1894年(明治27年)−1978年(昭和53年) 陶芸家
 1955年人間国宝に認定






2007⁄02⁄21(Wed) 20:14   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
美の国 秋田「2」(第六十二話)


宮崎で単身赴任をしていた時、毎晩 居酒屋「さあちゃん」で食事をした。
五日に一度くらい秋田弁の友人が顔を出した。

魚で言うとボクは地磯に住み着くタイプ。秋田の友人は回遊魚タイプ。友人は5軒くらい行き付けのお店を持っていたらしく毎日お店を変えて食事をしていたそうだ。

秋田の友人が帰省すると美味しいお酒を持参し、皆に振舞ってくれた。

居酒屋「さあちゃん」で呑んだ後にこの友人の庭付きの立派な官舎でお酒を頂いた事がある。取って置きのお酒を出して頂いたがあまり美味しいと思わず「これは好みでない」と言うと「判った どうしょう花さんはこちらの酒が好きだな」と言って別のお酒を出して呑ましてくれた。
言われたとおり美味しいお酒だった。

秋田の友人の説明によると最初に出したお酒は大吟醸、次に出したお酒は昔 二級酒と言っていたお酒だそうだ。大吟醸は重い味。二級酒は軽い味。

日本酒が好きで良く呑む割には銘柄にこだわらずにきた。ボクの好みは軽くて安いお酒のようだ。

秋田の夜を三軒 案内して頂いた。三軒とも別々の銘柄で美味しいお酒を堪能した。三軒目のスナックではウイスキーの水割りを飲みながら枡の淵に塩をのせて日本酒を頂いた。

次の朝 秋田駅のお土産屋さんのお酒のコーナーに立ち寄った。数えきらないほどの銘柄の日本酒が並んでいた。美味しいお酒を持ち帰ろうと思ったがどのお酒が美味しいのかさっぱり銘柄を覚えてなく、隣のコーナーでキリタンポを買って秋田新幹線「こまち」に乗り込んだ。

真っ白な景色を観ながら「美の国 秋田」には「美酒」「美人」「美味しい米」と「美しい景色」「美しい人情」があると思った。

ボクは一足早く稲城市の地磯で生活を始めた。秋田の友人もまもなく定年で回遊を終わり秋田の地磯に戻る。






2007⁄02⁄14(Wed) 23:26   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
美の国 秋田「1」(第六十一話)


午前6時56分発 秋田新幹線「こまち一号」で秋田に向かった。東北は仙台から北に行った事がない。
仙台までは雪が積もっていなかったが盛岡に入ると雪景色にかわった。
盛岡で東北新幹線の「はやて」と「こまち」の連結が切り離され田沢湖線に入り次の駅雫石に向かう。
それまで猛スピードで走っていた新幹線が普通の列車と同じくらいの速さになった。防音壁もなく窓から見る目線が低くなったが全景が見えるようになった。

雫石駅から景色が真っ白な銀世界に変わっていく。田沢湖駅ではホームまで雪が積もっている。田沢湖駅から角館駅まで車窓が山水画にかわる。トンネルからトンネルの間に樹氷で覆われた谷や山や川が白く輝き、見えては消え 消えては見えを繰り返す。トンネルとトンネルの間の車窓から見える一齣一こまが見事な芸術作品だ。

九州育ちのボクは、冬の秋田出張を躊躇していた。この景色を観て一変に躊躇していた気持が吹き飛んだ。

午前11時に到着し午後からの仕事も終わり、宮崎で単身赴任をしていた時の秋田の友人に会った。

友人は宮崎から岡山 東京と今でも単身赴任を続けている。来月定年を迎え秋田に戻る事になっている。今回はボクが秋田に出張すると連絡した為、わざわざ帰省してくれた。

市内を流れる旭川の横にある馴染みの居酒屋に案内して頂いた。
イブリガッコ(漬物)・ギバサ(海草)・石焼(桶の中に焼いた石が置いてあり中に海産物が入れられている)・だだみの天ぷら(たらの子の天ぷら)・なた漬け(鉈で切った大根の漬物)・トンブリ(木の実)・アミッコ・山菜の天ぷらと秋田でしか食べられない珍しい料理を注文してくれた。

どの料理も美味しくお酒が進んだ。
友人は秋田の酒は次の日残らないからと次の馴染みのお店に誘った。

カウンターに6〜7脚くらいの椅子があり、座敷に座卓が二つあった。
座敷では年配の方が二人でお酒をチョビチョビやりながら碁を指していた。
カウンターでは元高校の数学の先生が日本酒をチョビチョビやりながら元秋田美人の女将さんと秋田弁で何やら楽しげに会話をしている。
ここにはゆっくりした時間が流れている。
友人は若い時から この店に通っており常連客中の常連らしい。大分県出身で初めて秋田に来たと言ったら皆が解りやすい秋田弁で秋田のことを丁寧に教えてくれた。

友人は安部総理が「美しい国 日本」と言う前から秋田では「美の国 秋田」と言っていたと話した。

「美の国 秋田」の理由は 「美酒」・「美人」・「美味しい米」があるからだそうだ。

元秋田美人の女将さんを見ながらほろ酔いかげんな頭で、なるほど と思った。






2007⁄02⁄07(Wed) 21:01   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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