今年の春は夏将軍と冬将軍の戦いが激しい。夏将軍の投げた爆弾だろうか稲光ともに雷鳴が響き渡る。冬将軍が仕返しに霙(みぞれ)を撒き散らす。
せっかく気持ち良く咲いた桜も「これはたまらん」と早々にヒラヒラ涙を流しながら散っていった。
休戦中なのか春らしい日和の日曜日、ボクは皇居お濠の側にある出光美術館に出かけた。
志野と織部展が行われていた。
志野と織部は安土桃山時代に盛行した。安土桃山時代は永く続いた戦国時代が治まり江戸幕府の体制確立までの二十年間を指す。
桃山時代は経済がそれまで日本で経験した事のないほど繁栄した。豊かな暮らしとともに器の革命があった。それまで漆器や木器だった食器が陶器や磁器に代わった。その代表が志野と織部だった。
平安時代以来、永い間 中国の「白い器」に憧れ誕生したのが志野だ。
志野の茶碗は国宝の卯花墻(うのはながき)に見られるように下絵が描かれているものが多い。
モチーフに橋や車輪、籠目、吊るし、垣根、柳、藤、松、千鳥、鷺など身近にあるものが描かれている。
織部は、南蛮貿易で輸入される舶来品を咀嚼し和風の味わいを加えた伊達道具として製造された。それまでの日本のやきものと全く違う文様意匠や器形を生み出した。四方形や菱形、短冊形、松葉菱形、舟形、扇面形、誰が袖形、千鳥形などきりがないほど変化に富んだものがある。
モチーフも縞模様、格子、石畳、鱗、亀甲、松皮菱、扇面、矢羽根、桐、菊、松、竹、梅、蓮、葡萄、桜、梅、椿、桔梗、千鳥、鷺など数え切れない。
安土桃山時代に茶道が流行し、千利休や古田織部によって完成した。茶碗はそれまで中国や朝鮮から輸入されたものが高級什器として重宝されていた。輸入品に代わり純日本産の志野や織部の茶碗が用いられるようになった。
茶碗は志野も織部もロクロで挽かれたシンメトリーでない。歪んだ茶碗だ。
ロクロで挽いた整った形を手づくねで変化させた。
歪んだ茶碗は平和になった人々が作り上げた自由と喜びの形だろう。四百年経った今もその自由と喜びが伝わってくる。
展示室から出たところに皇居のみえる休憩所があった。
柔らかい日差しが皇居を照らしていた。人は戦いと平和を繰り返してきた。このまま戦いのない平和な世の中が続いて欲しいと願った。



せっかく気持ち良く咲いた桜も「これはたまらん」と早々にヒラヒラ涙を流しながら散っていった。
休戦中なのか春らしい日和の日曜日、ボクは皇居お濠の側にある出光美術館に出かけた。
志野と織部展が行われていた。
志野と織部は安土桃山時代に盛行した。安土桃山時代は永く続いた戦国時代が治まり江戸幕府の体制確立までの二十年間を指す。
桃山時代は経済がそれまで日本で経験した事のないほど繁栄した。豊かな暮らしとともに器の革命があった。それまで漆器や木器だった食器が陶器や磁器に代わった。その代表が志野と織部だった。
平安時代以来、永い間 中国の「白い器」に憧れ誕生したのが志野だ。
志野の茶碗は国宝の卯花墻(うのはながき)に見られるように下絵が描かれているものが多い。
モチーフに橋や車輪、籠目、吊るし、垣根、柳、藤、松、千鳥、鷺など身近にあるものが描かれている。
織部は、南蛮貿易で輸入される舶来品を咀嚼し和風の味わいを加えた伊達道具として製造された。それまでの日本のやきものと全く違う文様意匠や器形を生み出した。四方形や菱形、短冊形、松葉菱形、舟形、扇面形、誰が袖形、千鳥形などきりがないほど変化に富んだものがある。
モチーフも縞模様、格子、石畳、鱗、亀甲、松皮菱、扇面、矢羽根、桐、菊、松、竹、梅、蓮、葡萄、桜、梅、椿、桔梗、千鳥、鷺など数え切れない。
安土桃山時代に茶道が流行し、千利休や古田織部によって完成した。茶碗はそれまで中国や朝鮮から輸入されたものが高級什器として重宝されていた。輸入品に代わり純日本産の志野や織部の茶碗が用いられるようになった。
茶碗は志野も織部もロクロで挽かれたシンメトリーでない。歪んだ茶碗だ。
ロクロで挽いた整った形を手づくねで変化させた。
歪んだ茶碗は平和になった人々が作り上げた自由と喜びの形だろう。四百年経った今もその自由と喜びが伝わってくる。
展示室から出たところに皇居のみえる休憩所があった。
柔らかい日差しが皇居を照らしていた。人は戦いと平和を繰り返してきた。このまま戦いのない平和な世の中が続いて欲しいと願った。



地下鉄 千代田線の豊洲駅 四番出口の階段を上がり道沿いに一分歩く。
寿司屋・居酒屋など飲食店が軒を連ねている。信号を渡ったところにセブンイレブンの一号店がある。このセブンイレブンは日本で一番先にオープンした有名なコンビニ。コンビニから三軒目に和食の魚と季節野菜料理「安庵」がある。
ボクは特にグルメでないが 時々 旨い魚が食べたくなる。東京の端っこの自宅から電車で一時間かけ、江東区豊洲の「安庵」に足を運ぶ。
愛想の良くない店主がニコリともせず「いらっしゃい」と迎えてくれる。板前さんも同じように無愛想に迎えてくれる。たまに「いらっしゃい」がない時もある。
二人ともニコリとすると魚が腐ると思っているのかも知れない。
そんなことはどうでも良いのだ。ボクは 都心を横切って旨い魚を食べに来たのだ。
まず カウンターに座ってビールを注文する。
気の利いた前菜がいくつか出てくる。次に熱燗を頼む。熱燗の出てくる頃、季節の野菜と季節の魚が料理され勝手に出てくる。
春は初かつおの土佐造り・叩き・刺身、山菜の天ぷら盛り合わせ(コゴミ・タラノメ・フキノトウ・行者ニンニク・ウド)竹の子の土佐煮、竹の子のてんぷら、花ワサビおひたし、セリ胡麻和え、ノビル味噌、しめ鯖、ヤリイカ刺身・煮つけ・塩焼き、かんぱち薄造り・刺身。
夏はギンボウ天ぷら、かつお土佐造り、アジの叩き、サダエの刺身・つぼ焼、活穴子天ぷら・白焼、岩かき(岩手産)、水ダコサラダ風、ハモ湯引き、カマス一夜干(自家製)、カンパチ薄作り、米ナス田楽、白ウリ雷干、グリーンアスパラおひたし、キンキー一夜干、ゴーヤおひたし。
秋は戻りかつお土佐造、新サンマハーフ&ハーフ(1尾を刺身と塩焼きで楽しめる)、水ダコ洗い、水ダコサラダ、相鴨塩焼き、新ぎんなん、きねかつぎ、エビ芋煮おろし、だだ茶豆、松茸てんぷら・焼。
冬はとらふぐコース(てっさ・ふぐ唐・てっちり・雑炊)、あんこうコース(刺身・揚げ物・あんこう鍋・雑炊)、たらちり鍋、とらふぐ白子焼、たら白子ポン酢、甘エビ刺身、カンブリ刺身、ブリ大根。
安庵の店主は三十年間 築地で魚の仕入れの仕事をしてきた食材選びのプロ。
旨いものに対するこだわりも大きい。七月に枝豆を注文したら「まだ不味い」。ボクは夏に枝豆でビールを呑みたいではないかと言ったが頑として聴く耳をもたない。
八月になって やっと だだ茶豆が枝付きで出て来た。悔しいけれど旨い。
店主の仕入れてきた食材を有名店で修行を積んだ板前の小笠原さんがお客さんの好みに合わせて料理する。
東京でボク創った器が使われている唯一のお店である。ぐい飲み・さんま角皿・ 大皿などの力作がそろっている。
店主と板前さんに愛想がない分、女将さん(店主の奥さん)は愛想がいい。
日本酒で気持が良くなると女将さんを捉まえてボクは言う「このお店は良い器を使ってますね」。女将さんは応える「うちの器は作家物ですから」。ボクは「お高いのでしょうね」と聴く。女将さんはニコニコしながら「いえ 常連さんに陶芸作家がいて 勝手に置いていくんですよ」と言う。
ボクは作家物の器を両手で持ち上げ、高台や見込み、全体の形を鑑定し「いい仕事をしてますね」と褒める。
寿司屋・居酒屋など飲食店が軒を連ねている。信号を渡ったところにセブンイレブンの一号店がある。このセブンイレブンは日本で一番先にオープンした有名なコンビニ。コンビニから三軒目に和食の魚と季節野菜料理「安庵」がある。
ボクは特にグルメでないが 時々 旨い魚が食べたくなる。東京の端っこの自宅から電車で一時間かけ、江東区豊洲の「安庵」に足を運ぶ。
愛想の良くない店主がニコリともせず「いらっしゃい」と迎えてくれる。板前さんも同じように無愛想に迎えてくれる。たまに「いらっしゃい」がない時もある。
二人ともニコリとすると魚が腐ると思っているのかも知れない。
そんなことはどうでも良いのだ。ボクは 都心を横切って旨い魚を食べに来たのだ。
まず カウンターに座ってビールを注文する。
気の利いた前菜がいくつか出てくる。次に熱燗を頼む。熱燗の出てくる頃、季節の野菜と季節の魚が料理され勝手に出てくる。
春は初かつおの土佐造り・叩き・刺身、山菜の天ぷら盛り合わせ(コゴミ・タラノメ・フキノトウ・行者ニンニク・ウド)竹の子の土佐煮、竹の子のてんぷら、花ワサビおひたし、セリ胡麻和え、ノビル味噌、しめ鯖、ヤリイカ刺身・煮つけ・塩焼き、かんぱち薄造り・刺身。
夏はギンボウ天ぷら、かつお土佐造り、アジの叩き、サダエの刺身・つぼ焼、活穴子天ぷら・白焼、岩かき(岩手産)、水ダコサラダ風、ハモ湯引き、カマス一夜干(自家製)、カンパチ薄作り、米ナス田楽、白ウリ雷干、グリーンアスパラおひたし、キンキー一夜干、ゴーヤおひたし。
秋は戻りかつお土佐造、新サンマハーフ&ハーフ(1尾を刺身と塩焼きで楽しめる)、水ダコ洗い、水ダコサラダ、相鴨塩焼き、新ぎんなん、きねかつぎ、エビ芋煮おろし、だだ茶豆、松茸てんぷら・焼。
冬はとらふぐコース(てっさ・ふぐ唐・てっちり・雑炊)、あんこうコース(刺身・揚げ物・あんこう鍋・雑炊)、たらちり鍋、とらふぐ白子焼、たら白子ポン酢、甘エビ刺身、カンブリ刺身、ブリ大根。
安庵の店主は三十年間 築地で魚の仕入れの仕事をしてきた食材選びのプロ。
旨いものに対するこだわりも大きい。七月に枝豆を注文したら「まだ不味い」。ボクは夏に枝豆でビールを呑みたいではないかと言ったが頑として聴く耳をもたない。
八月になって やっと だだ茶豆が枝付きで出て来た。悔しいけれど旨い。
店主の仕入れてきた食材を有名店で修行を積んだ板前の小笠原さんがお客さんの好みに合わせて料理する。
東京でボク創った器が使われている唯一のお店である。ぐい飲み・さんま角皿・ 大皿などの力作がそろっている。
店主と板前さんに愛想がない分、女将さん(店主の奥さん)は愛想がいい。
日本酒で気持が良くなると女将さんを捉まえてボクは言う「このお店は良い器を使ってますね」。女将さんは応える「うちの器は作家物ですから」。ボクは「お高いのでしょうね」と聴く。女将さんはニコニコしながら「いえ 常連さんに陶芸作家がいて 勝手に置いていくんですよ」と言う。
ボクは作家物の器を両手で持ち上げ、高台や見込み、全体の形を鑑定し「いい仕事をしてますね」と褒める。
記録的な暖冬で桜の開花が早いと予報されていた。3月に入り冬が戻ってきたようで中旬になって、やっと東京地方にも初雪が舞った。
異常気象に狂った訳でもないのだろうが昨年の暮れから窯がトラブル続き。窯焚をする為に3時に起床して窯場に向かった。
4時に点火する。両方のバーナーとも順調に点火できた。
1月のトラブルの後、窯屋さんに修理してもらった。炎が落ち着き始めて30分ほどして今回は大丈夫だろうと思った瞬間 突然 窯場が真っ暗になった。バーナーも停止した。 またトラブルか!
前回より冷静に元栓を締め、電気のブレーカーをチェックした。ブレーカーが半分落ちている。元に戻すと電気が復活した。
5時に再度点火できた。
その後 トラブルもなく無事に還元窯の窯焚が終了できた。
帰宅し風呂につかり、遅い夕食をした。順調に窯焚ができ、芋焼酎を呑みながらNHK BSで小椋 圭コンサートを観た。
「未熟の晩鐘」のタイトルで全国ツアーコンサートだそうだ。
小椋 佳は 勧銀に勤めていた頃、シングソングライターとしてデビューした。
その頃 テレビで特集された小椋 佳のコンサートを観た事がある。仕事を終え上司に挨拶してコンサート会場に向かう。ステージでは、サラリーマンから180度変身したサラリーマン シンガーの小椋 佳が映し出されていた。
その頃 歌よりも二足の草鞋を履いた小椋 佳の映像にカッコいいと思った。
窯焚を終え、芋焼酎の香りを嗅ぎながらアンパンマンのような中年男が唄うゆっくりしたメロディーの恋歌が耳に気持いい。熱唱するわけでなく特に良い声でもなく座ったまま膝に両手を置いて淡々と唄う。
小椋 佳の唄はほとんど自身で作詞作曲した作品だそうだ。途中で室町時代の閑吟集の恋歌に小椋 佳がメロディーを付けた唄があった。津軽三味線を取り入れた唄や薩摩琵琶を取り入れた唄もあった。
演歌でもなく民謡でもない。小椋 佳の唄には日本人の中に昔から流れている日本人の心が唄いこまれているのではないかとボクは感じた。
二足の草鞋を履いた小椋 佳もカッコよかったがサラリーマンを卒業した今、 62歳の初老のシングソングライターが唄う恋歌の小椋 佳は昔以上にカッコいいと思った。
異常気象に狂った訳でもないのだろうが昨年の暮れから窯がトラブル続き。窯焚をする為に3時に起床して窯場に向かった。
4時に点火する。両方のバーナーとも順調に点火できた。
1月のトラブルの後、窯屋さんに修理してもらった。炎が落ち着き始めて30分ほどして今回は大丈夫だろうと思った瞬間 突然 窯場が真っ暗になった。バーナーも停止した。 またトラブルか!
前回より冷静に元栓を締め、電気のブレーカーをチェックした。ブレーカーが半分落ちている。元に戻すと電気が復活した。
5時に再度点火できた。
その後 トラブルもなく無事に還元窯の窯焚が終了できた。
帰宅し風呂につかり、遅い夕食をした。順調に窯焚ができ、芋焼酎を呑みながらNHK BSで小椋 圭コンサートを観た。
「未熟の晩鐘」のタイトルで全国ツアーコンサートだそうだ。
小椋 佳は 勧銀に勤めていた頃、シングソングライターとしてデビューした。
その頃 テレビで特集された小椋 佳のコンサートを観た事がある。仕事を終え上司に挨拶してコンサート会場に向かう。ステージでは、サラリーマンから180度変身したサラリーマン シンガーの小椋 佳が映し出されていた。
その頃 歌よりも二足の草鞋を履いた小椋 佳の映像にカッコいいと思った。
窯焚を終え、芋焼酎の香りを嗅ぎながらアンパンマンのような中年男が唄うゆっくりしたメロディーの恋歌が耳に気持いい。熱唱するわけでなく特に良い声でもなく座ったまま膝に両手を置いて淡々と唄う。
小椋 佳の唄はほとんど自身で作詞作曲した作品だそうだ。途中で室町時代の閑吟集の恋歌に小椋 佳がメロディーを付けた唄があった。津軽三味線を取り入れた唄や薩摩琵琶を取り入れた唄もあった。
演歌でもなく民謡でもない。小椋 佳の唄には日本人の中に昔から流れている日本人の心が唄いこまれているのではないかとボクは感じた。
二足の草鞋を履いた小椋 佳もカッコよかったがサラリーマンを卒業した今、 62歳の初老のシングソングライターが唄う恋歌の小椋 佳は昔以上にカッコいいと思った。
「窓際のロクロ挽き」を本にする為、編集思考室シオングの塩野さんと三回目の打ち合わせをした。
いつも打ち合わせは京王線の明大前の居酒屋で行う。塩野さんはお酒が呑めない。ボクは少し呑む。
表紙の紙の色を幾つか色見本から色のイメージで黄土色に決めた。挿絵の写真の大きさや文字の大きさ、ページ数など細かい打ち合わせをしていった。
塩野さんから表紙のタイトルは 「どうしょう花さんの自筆にしましょう」と突然 提案がでた。
ボクは「誰が書くの」と聴きなおした。塩野さんは平然と「どうしょう花さんが書くんです」と言った。この人 お酒も呑まずいつもニコニコして、一体 何を考えているのか理解できなかった。
ボクは自他共に認める悪筆 というかはっきり言って下手な字。字を書くことに劣等感をもっている。
小学生の時 習字の時間に筆で顔に髭を書いて先生に拳骨をもらった事がある。まじめに習字をしたことがない。
呑みながら打ち合わせをしていて塩野さんから「どうしょう花さん 相田みつを の字で良いのですよ」と言われた。
ボクは酔った頭で「そうか この前 相田みつを美術館で観た相田みつを か」確かボクの字に似ていたなと思った。そして 「ボク 書くよ」 しまった また 酔っ払って約束してしまった。
押入れの奥のほうから硯の箱を取り出した。
一週間 開けずに眺めた。開けたり閉じたりして一週間。なんか かんかで一ヶ月が過ぎた。
一ヶ月が過ぎた頃、朝二時に起き出して硯箱を開けて墨を摩った。墨の匂いが部屋に立ち込めて気持がいい。
大きな筆に墨を満たし「窓際のロクロ挽き・どうしょう花」と書いた。小学生に笑われそうな字だ。やっぱり しまっと 思った。
便所から相田みつを のカレンダーをテーブルの上に持ち出してきた。じっと見つめる。これならいけると勇気を出して書き続ける。二時間が過ぎた頃、少し読める字が出来た。
夜が明ける頃 窓の外から習字の神様が「まあ まあ じゃのー」と言った気がした。
印刷会社 株式会社技秀堂から黄土色の本が100冊送られて来た。編集思考室シオングの塩野さんからボクの書いた「窓際のロクロ挽き どうしょう花」が和紙に印刷されて100枚送られて来た。
100冊に一冊一冊丁寧に糊付した。
自分で書いたエッセイに最後のタイトルを自分で糊付した。これが本当の私家版だと感じた。
文章も内容も未熟で恥ずかしいがそれ以上に自筆のタイトルは恥ずかしいと今でも後悔している。


いつも打ち合わせは京王線の明大前の居酒屋で行う。塩野さんはお酒が呑めない。ボクは少し呑む。
表紙の紙の色を幾つか色見本から色のイメージで黄土色に決めた。挿絵の写真の大きさや文字の大きさ、ページ数など細かい打ち合わせをしていった。
塩野さんから表紙のタイトルは 「どうしょう花さんの自筆にしましょう」と突然 提案がでた。
ボクは「誰が書くの」と聴きなおした。塩野さんは平然と「どうしょう花さんが書くんです」と言った。この人 お酒も呑まずいつもニコニコして、一体 何を考えているのか理解できなかった。
ボクは自他共に認める悪筆 というかはっきり言って下手な字。字を書くことに劣等感をもっている。
小学生の時 習字の時間に筆で顔に髭を書いて先生に拳骨をもらった事がある。まじめに習字をしたことがない。
呑みながら打ち合わせをしていて塩野さんから「どうしょう花さん 相田みつを の字で良いのですよ」と言われた。
ボクは酔った頭で「そうか この前 相田みつを美術館で観た相田みつを か」確かボクの字に似ていたなと思った。そして 「ボク 書くよ」 しまった また 酔っ払って約束してしまった。
押入れの奥のほうから硯の箱を取り出した。
一週間 開けずに眺めた。開けたり閉じたりして一週間。なんか かんかで一ヶ月が過ぎた。
一ヶ月が過ぎた頃、朝二時に起き出して硯箱を開けて墨を摩った。墨の匂いが部屋に立ち込めて気持がいい。
大きな筆に墨を満たし「窓際のロクロ挽き・どうしょう花」と書いた。小学生に笑われそうな字だ。やっぱり しまっと 思った。
便所から相田みつを のカレンダーをテーブルの上に持ち出してきた。じっと見つめる。これならいけると勇気を出して書き続ける。二時間が過ぎた頃、少し読める字が出来た。
夜が明ける頃 窓の外から習字の神様が「まあ まあ じゃのー」と言った気がした。
印刷会社 株式会社技秀堂から黄土色の本が100冊送られて来た。編集思考室シオングの塩野さんからボクの書いた「窓際のロクロ挽き どうしょう花」が和紙に印刷されて100枚送られて来た。
100冊に一冊一冊丁寧に糊付した。
自分で書いたエッセイに最後のタイトルを自分で糊付した。これが本当の私家版だと感じた。
文章も内容も未熟で恥ずかしいがそれ以上に自筆のタイトルは恥ずかしいと今でも後悔している。


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