陶芸に関する悪戦苦陶の話
ほたる(第八十一話)


六月 父親の七回忌で帰省した。
羽田から大分行きの最終便に乗った。大分空港でレンターカーを借りる。高速道路の大分道を南に走った。国道十号線から熊本方面に向かう国道五十七号線に入り西の方向に走る。豊後大野市浅草から県道に入ると街灯が少なくなり辺りは真っ暗になる。車のヘッドライトが頼りに故郷に向かう。

ボクは十八歳で故郷を出て、この村で生活した事がない。毎年 二回くらい帰省しているが六月に帰ったことがほとんどなかった。
今度の帰省は、ほたるの乱舞が見られるのでないかと楽しみにしていた。

近頃 六月になるとテレビで蛍の話題が取り上げられる。東京でも養殖した蛍を売り物にしている料亭などが話題になっている。
多分 数匹が飛び交うものだろう。

子供の頃、ボクの故郷では六月になると川いっぱい蛍が帯をなして光る光景をみた。蛍は一斉に光を発し一斉に消える。光は川面と水の張られた田んぼに反射する。山間の村 全体を蛍の光が明るく照らした。幻想的な光景を今でも想い出す。もう一度見たいと思う。

この四十年の間に道が広がり、山奥の細い道も舗装された。川は河川工事で川岸がコンクリートで固められ草や木が育たなくなった。
虫たちにとって環境の悪化に加えて田んぼや畑に殺虫剤がまかれ、生きる事が難しくなった。ほたるの幼虫も環境の変化で育たなくなったのだろう。川の中を見ても蛍の幼虫の餌になるコウビナ(カワニナ)がいない。

日本にはゲンジボタルやヘイケホタルなど約四十種類の蛍がいる。昔この川を明るく照らした幻想的な蛍は大きさが十五mmくらいあったのでゲンジボタルだったのだろう。小さい形のものもいた。子供の頃 こちらをヘイケホタルと呼んだ。

夜の十一時頃 故郷の実家に到着する。車から荷物を降ろして、近くの川に行った。橋の上から昔 蛍が乱舞していた川面を見たが一匹も飛んでいなかった。

次の夜 弟夫婦も加わってにぎやかな夕食になった。
昔の写真を見ながら父の想い出を話していた。

母が「あ 蛍だ」と言った。皆 窓を見ると一匹のほたるが飛んでいる。電気を消して窓を開けると、光ながらすーと部屋に入ってきた。しばらく部屋を照らしながら飛んで出て行った。

家族の誰かが「じいちゃんが帰ってきた」と言った。

母は「北から飛んで来た。じいちゃんが会いに帰って来たんじゃな」と笑いながら目を赤くして言った。


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2007⁄06⁄27(Wed) 19:35   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
MAio108 ギャラリー「3」灯り(第八十話)


新築ギャラリーの展示作業が終わると、あたりはすっかり暗くなった。
ギャラリーの照明に灯りが灯された。展示された電気スタンドなどの照明にもスイッチが入った。
手ランプ、後ろから光を当てるスタンド、電気スタンド、メリーゴーラウンドなど全部で八作品が出品されていた。

陶芸にも一つのジャンルになりそうなくらい、陶で作ったランプが多い。大きさが自由に作れ、光を放つ穴が自由自在に施されるからだ。
鉄や銅で作ったランプも光を放つ穴が大小様々に開けられ見事な模様が浮き上がっている。

陶で製作された作品の光源は電球が多い。今回出展された作品もほとんどが電球を使っている。
その中で永山さんの製作したローソク立てと松本さんの発光ダイオード(LED)が目を引いた。

ローソクは紀元前から使われている。日本には仏教伝来とともに伝えられ宗教儀式に用いられた。一般に照明器具として普及は江戸時代に入って大量生産されるようになってからだ。

発光ダイオードは1993年徳島県の日亜化学工業が製品化した最新の灯りだ。
日常 掲示板 信号などで使われている為、目にしているが実物を間近で見ることはない。
発光と名前がついているとおり白っぽい柔らかなボーとした光だ。

人類の灯りの歴史は原始時代の焚き火から始まった。かがり火、脂燭、たいまつ、油灯、ろうそく、石油ランプ、ガス灯、電灯と進化していった。
電灯も電球から蛍光灯になり昼間のような明るさになった。

ボクが小学生の頃、家に蛍光灯が一つ着いた。
スイッチのひもを引っ張ると両側から赤い光が走り、数秒して細長い電球全体から白っぽい柔らかな光が部屋の中を照らした。
まるでお昼のような明るさに驚いたことを覚えている。

蛍光灯が取り付けられるまえまで、ボクの村では街灯がなく夜になると真っ暗だった。手の届くところに星があり、星の光で足元を照らした。まだ お化けや幽霊が活動していた。
お化けの出る頃になると人々は寝るので子供も沢山生まれた。

発光ダイオードは電球の交換する必要が無く消費電力が少ない。
これからいろんなところに使われだすだろう。ますます夜が無くなり、お化けや幽霊や子供がいなくなる。

永山さんの作ったろうそく立てで、ゆらゆら燃えている炎を見た。炎の向こうに昔の生活が見えた。日が沈むと布団に入り、夜明けとともに活動した。

ボクはローソクの生活がいいナー。もう子供は無理だけど・・・


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2007⁄06⁄20(Wed) 06:23   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
MAio108 ギャラリー「2」メリーゴーランド(第七十九話)


MAio108で鉄工、木工、陶芸を習っている人にはいろんな職業の人がいる。定年後の人も昔とった杵柄でいろんな特技をもっている。
趣味も多彩で鉄工だけ木工だけ陶芸だけでなく鉄工と木工、木工と陶芸とMAio108の中だけでも掛け持ちで習っている。MAio108で出来ないガラスを他で習っている人も多い。

新築ギャラリーの展示会に持ち込んだ作品は、他の展示会で見られない別々の素材で製作した組み合わせ物が多かった。組み物にも相性がある。鉄と木、陶と木は相性が良い。鉄と陶は鉄が強く相性が悪いと感じる。しかし鉄とガラスになると最強の組み合わせになる。

鉄工を習っている永藤さんは、今回 電気スタンドとメリーゴーラウンドの作品を出品した。二点とも鉄とガラスの組み合わせた作品だ。永藤さんは他の場所でステンドグラスを習っている。赤や黄色、黒のステンドグラスにMAio108で製作した鉄の枠にはめ込んでいる。

皆 搬入が終わったが永藤さんだけメリーゴーラウンド(回転木馬)の組み立てをしていた。
電池でモーターを動かし、メリーゴーラウンドが動く仕組みになっている。ステンドグラスで作られた六頭の馬が回転軸からでた六本のアームにぶら下がっている。ステンドグラスの馬は右側に金属で細かい飾りがつけられている。こちらから見て馬は右を向いている。
モーターのスイッチが入れられ、回転木馬が右回りに廻り始めた。
見ていた人からオーと声が上がった。
木工を習っている具嶋さんが「これはいかん。馬が目を回す」と慌てた。馬が右を向いて作られ、回転が右回りの為、馬が後ろ向きに廻っていた。
具嶋さんは「半田篭手がありますか」と言った。MAio108の社員が半田篭手を手渡すと「私が直しましょう」と右回りだった回転を左回りに直した。

機械と電気に弱いボクには具嶋さんの手が神の手に見えた。

無事に前向きに廻りだした馬が今度はだんだんスピードが速くなりメリーゴーラウンドというより競馬のような忙しさになった。神の手が言った。「モーターの回転を遅くすることが出来るので来週作ってきますよ」

焼物の世界では右を向いた馬を左馬といい縁起が良いとされている。
新しく築いた窯での窯焚(初窯)の成功を願って左馬を描いた物を焼く。
瀬戸では、江戸初期の頃 初窯で小さな可愛い馬の置物を焼き神社に奉納した。
文化文政の頃、左馬絵茶碗を焼き「病魔、中風除け」と言って配った。
左馬の描かれた茶碗でご飯を食べると中風にならないと言われ縁起の良いものとされている。

メリーゴーラウンドの高さは五十センチある。飾り付けられた十センチのステンドグラス製の左馬がゆっくり廻り始めた。

MAio108に集まる皆の夢を乗せて、六頭の左馬が縁起の良い方向に走り出した。


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2007⁄06⁄13(Wed) 03:09   未分類 | Comment(4) | Trackback(0) | ↑Top
ギャラリーの新築「1」突貫工事(第七十八話)


一昨年から始めたMAio108のギャラリーの建築工事が最終工程に入った。
週末 工房に着くと先週まであった建築用の足場が取り外されていた。
入口に幅一メータのセメンが張り巡らされていた。セメントは張られたばかりで板の枠が張られている。階段の踏み板が取り付けられていない。窓止めの金具、入口の金具が取り付けられていない。窓のコーキングもされていない。掃除などまだまだだ。

来週の月曜日から日曜日まで金工、木工、陶芸の展示会が開催される。顧客への案内、新聞のチラシでの案内がすでにされている。
西野オーナーとMAio108のフルメンバーがギャラリーの仕上げの作業を行っていた。
ボクも猫の手よりは役に立つだろうと駆り出された。入口のタイルを張ったり、幕板を取り付けたり普段したことのない作業を手伝った。

三年前 ボクがこの工房に来た時、MAio108のギャラリーは原宿にあった。諸事情からこのギャラリーを閉鎖した。西野オーナーはこの時から立川の工房にギャラリーを建設する事を決めた。

昨年の夏頃に棟が立ち上がり屋根に銀色のアルミ板が張られた。
同じころ西野オーナーは二胡の練習に夢中になり、優先順位が仕事、二胡、ギャラリーの建設になった為、ますます作業が遅くなった。

このギャラリーの建設は設計から施工まですべて西野オーナー一人で行っている。棟上など一人で無理な仕事はMAio108の社員が手伝っているが全体の九十パーセント以上は一人での作業だ。

西野オーナーの仕事は店舗の設計と施工。創る事にかけて自他共に認める天才である。

天才は気まぐれである。仕事の合間に二胡を弾き、それに飽きるとギャラリーの建築作業にあたる。 
オーナーは昨年の暮れにギャラリーをオープンしたいと言っていた。暮れになると来年春にはオープンすると言った。そして五月連休頃に六月に展示会をすると言い出したが誰も出来ると思わなかった。特にボクは思わなかった。

宮崎で陶芸を始めた時、週末通っていた陶芸家が工房に併設して自宅を自分で建設していた。日本全国に陶芸作家は多い。自分は家を作っているので本当の作家だと自慢していた。屋根だけ出来ていたがそれ以上の作業は全然進まなかった。柱や壁は腐りかけていた。三年後 宮崎を引揚げる時、その建物はまだ完成していなかった。

連休を過ぎた頃、建築中のギャラリーの周りに足場が築かれた。壁塗りが始まる。ズボンを塗料で真っ白く汚したオーナーを見かけた。内壁も外壁も全て一人で作業している。
作業の合間に二胡を弾いている。二胡の練習もギャラリーの建築作業も楽しそうにやっていた。

今日の突貫工事で、お昼過ぎになるとギャラリーらしい雰囲気の建物になった。

夕方 鉄工、木工、陶芸の生徒達が自作の作品をもって集まってきた。
集まった人達は、ギャラリーそのものがオブジェのような建物を見て、「素晴らしい」と言った。そして「本当にできたんですね」と驚いた。


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2007⁄06⁄06(Wed) 20:21   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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