陶芸に関する悪戦苦陶の話
医学会(第八十五話)


早朝 小雨の首都高速を羽田に向かって走った。羽田空港から千歳空港行きの一便 午前六時三十分発でフライとした。
今回の出張は札幌で行われる「日本うつ病学会」に参加するためである。
二日間行われる為、朝の一便で札幌に入り次の日の最終便でもどる強行軍だ。
会社が一泊付きの極安料金のパックを取ってくれた。

近頃 経費節減のためか交通事情がよくなったためか知らないが遠距離出張に日帰りが多くなった。老兵にはチョイトきつい。
少し前までは遠距離出張の場合、前日移動で旨いものを食って、時間的に余裕があった気がした。サラリーマンは気楽な稼業でなくなったようだ。

現在の医療は、日進月歩に変わっていく為 製薬会社の営業マンも医師や医療関係者の為の学会に参加し勉強する。
自社薬に対しては、周辺知識を含め社内の研修で勉強する。その薬が医療現場で、どのような使われ方をしているのかを学会で学ぶ。

うつ病について日本を代表する精神科の医師から最新の診断方法や治療についての講演を聴いた。若手医師による症例検討会も聴講した。
児童 思春期、周産期、職場、初老期、高齢者のうつ病を診断 治療 予防の面から細かく検討された。

プログラムには朝九時から夕方六時三十分までスケジュールが書き込まれている。プログラムを片手に自分の聴きたい講演会場に足を運ぶ。
特別講演、基調講演、シンポジューム、レクチャー、セミナー、ポスターセッセションと様々な形式で参加できるようになっている。

イベントに参加して医師の勉強熱心にいつも驚く。一つの発表に対して講演形式であれ、シンポジューム形式であれ必ず質問があり時間を忘れて議論する。

お昼休みにもランチオンセミナーがあり、弁当を食べながら講演を聴く。
学会によっては朝のモーニングセミナー、昼のランチオンセミナー、夜のイブニングセミナーまでついている。朝から晩まで会場の弁当を食べながら勉強をするのだ。

医療ジャーナリスト西寺桂子の「医師の死角、患者の死角」でも医師のまじめさについての記述がある。
テレビや新聞で報道される、
「手術中に患者死亡、医療ミスか」
「大学医局と病院のもたれあい、大物教授がヤミ顧問料七百万円」
「ミスを繰り返す医師が放置されている」
「患者の人権を軽視した医療」
など医療現場のミスに対しては厳しい報道が多い。
全国におよそ二十五万人いる医師全部がなにか悪いことをしているような印象を与える書き方になっている。
これはごく一部の医師であり事例である。
西寺氏はいう。ほとんどの医師は病気を治したい、患者の命をすくいたいと日夜寝食を惜しんで努力している良識派である。

ボクも永いこと薬屋として身近に医師を見てきた。ほとんどの医師が良識派で素晴らしい人達だ。
ある時、医局でお昼にうどんを食べている医師がいた。電話で患者さんの容態が悪いと呼ばれた。そのまますっ飛んで病棟に駆けつけた。治療して医局に帰り、食べかけのうどんの麺が汁を吸ってふやけていた。ふやけた不味そうなうどんを文句も言わず ほおばっている医師を見たことがある。
当直以外の日、担当の患者さんの具合が悪いと医局の隅で毛布に包まって仮眠していた若い研修医をみたこともある。
このような事例は、挙げたらきりがないくらいみてきた。仕事だから当たり前だろう。人の命を預かる医師ならあたりまえだろうと言うかも知れないがボクにはとうてい出来ない。

学会で医師の勉強態度を見ていると改めて凄い人達だと頭がさがる。
病院から離れて遠くに来ているのだから、少し息抜きをすればよいのにとボクは思う。






2007⁄07⁄25(Wed) 08:35   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
林住期(2)「健康について」(第八十四話)


西寺桂子さんの著書「医師の死角、患者の死角」に「近況報告は、病気自慢」がある。五十歳以上になると孫自慢と病気の話が多くなると書いてあった。

五木寛之も五十歳からの林住期は人生のピークであるが健康に問題が出てくる年齢と指摘する。

近頃 同じ世代の友人に会うと病気の話が多くなった。高血圧、高脂血漿、腰痛、五十肩、痛風、糖尿病、胃潰瘍、大腸ポリープ、EDと大抵一つか二つはもっている。
病気を持つことで連帯感が生まれる。
中には健康優良爺さんがいて仲間はずれになりかける。すると老眼になったとか、歯の治療をはじめたとか、EDになったとかで無理やり仲間に入る。
仲間の話を聴きながら俺の病気はあいつに比べまだ心配ないと安心したりする。

病気にならないように日頃より体調を維持することを養生という。そして養生の基本が食事だ。
腹八分は良く聞くことだが五木寛之の林住期では
三十代で腹八分。ここが基準。
四十代は腹七分。
五十代は腹六分。
六十代は腹五分。
七十代は腹四分。
八十代は腹三分。
九十代は腹二分。
百歳になると霞を食べていただく。
となっている。

五十代のボクは腹六分となるが全然守られていない。腹六分は相当きつい。特に週末陶芸で身体を動かすときには腹六分では動けない。汗を流すのでビールが旨い。メタボリックなお腹を撫でながら腹六分などとんでもないとボクは思った。

林住期に身体的な病気が増えてくるとともに精神的な病気にも気をつけるよう書かれている。
精神的な病気の代表がうつ病であり今後中高年に増えてくると指摘している。

うつ病の病態を光と影で説明している。光が強くなれば影も濃くなる。影の部分がうつ状態と説明している。光の強い現在の生活は、うつ病が増えるという。
うつ病は誰にでも起こりうる病気である。
予防策はないがうつ病を親の敵みたいに敵視しない。うつ病をえたいのしれない怪物のように恐れないことが必要であると記している。

ボクは製薬会社で働いている。扱っている薬の中に抗うつ薬がある。精神科の医師に面会し、自社製品の抗うつ薬の紹介をする時、うつ病治療の難しさを医師から聴く。

初老期のうつ病は死に対する恐怖が原因のひとつと指摘している。

「死は前よりしもきたらず」
「かねてうしろに迫れり」と吉田兼好の言葉である。

うしろからポンと肩をたたかれ「時間ですよ」と、無愛想に知らされる。

なんだ、前からやってこないんだ。
だったら肩をたたかれるまで陶芸を楽しみますか!






2007⁄07⁄18(Wed) 07:42   未分類 | Comment(1) | Trackback(0) | ↑Top
林住期「1」(第八十三話) 


若い頃 自己啓発の本をよく読んだ。
近頃 本屋を覗くと団塊世代をターゲットにした自己啓発の本が並んでいる。
若い頃だったら直ぐ飛びついて買っただろうなと思いながら手に取るが買わない。
五十歳を過ぎた頃から賢くなって人其々違うから読んでも何の役にも立たないことが分かってきた。

新聞の新刊紹介のコラムや宣伝に掲載された五木寛之の書いた「林住期」は少し気になった。
近くの本屋に行き平積みになった林住期を手に取りぱらぱらとめくった。
ボクの考えている五十歳からの行き方がそのまま本になっている。すぐに買って読みはじめた。

そうなんだよ そうそうと一気に読んだ。

古代インドでは人生を四つの時期に分けて考えたそうだ。生まれてから二十五歳までは学生期、二十五歳から五十歳までが家住期、五十歳から七十五歳までが林住期、七十五歳以上が遊行期。人生のピークは五十歳からの林住期にあると五木寛之は書いている。

学生期は青少年時代だ。心身をきたえ、学習し、体験を積む。家住期は社会人の時期である。就職し、結婚し、家庭をつくり、子供を育てる。
これまで青年、壮年、初老、老年と人生を区切り、青年 壮年が人生のクライマックスと考えられてきた。
五十歳以上はおまけの人生、濡れ落ち葉などと揶揄された。サラリーマンでは五十歳を過ぎると力に関係なく窓際に追いやられると五木寛之は指摘する。
五十歳の頃、ボクにもそんな波がやってきた。その波に のたうちまわったが陶芸に出会い何とか乗り切った。
すでに体の中からいなくなっていたと思っていた怒りの虫が腹の中から這い上がってきて胸のなかでムカムカと大きくなった。そして口の中から「ばかやろう」と叫びながら飛びだした。

仏教には
本来の自己を生かす。
自分を見つめる。
心のなかで求めていた生き方をする。
他人や組織のためでなく、ただ自分のために残された時間と日々をすごすという考えがある。

家住期には家族のため、社会のために働いてきた。林住期は自分のために生きよと五木寛之はいう。
人はそれぞれ自分のしたいことを持っている。現在の仕事がなにより好きというひとはそれを続ければよい。全く違う仕事をしてみたいと思っている人はそれをやるがよい。
林住期の真の意味は必要からでなく興味によって何事かをする。
これまでやってきた仕事を続けるにしても、全く違うことをするにしても興味本位でやる。
金のために働くのでなく、道楽でやる。金のためになにかをしないと決めるべきと 書かれている。

近頃 ボクは五十歳台の会社の同僚に林住期の話をする。
たいていの人は「え 臨終期ですか」と変な顔をする。
「そう りんじゅうき。手を合わせるほうでなく、住む家の期と書くんですよ」と言うと話を聴いてくれる。
五木寛之の受け売りだが老後の生きかたについてボクは偉そうな顔をして話す。

話し終えるとみんな考え込む。そしてボクに「定年後、陶芸を教えて」という。


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2007⁄07⁄11(Wed) 05:14   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
男声合唱団(第八十二話)


ハーバード大学クロコディロス 07東京公演に出かけた。
案内のパンフレットに「奇跡のハーモニー!」とバーンスタインが絶賛した、十二人の男性ア・カペラコーラス。古き佳きアメリカのジャズ&ポップスとあった。
ハーバード大学の男声合唱団の演奏会である。

前座に早稲田大学OBによる合唱があった。登録メンバーは1961年から1971年卒の五十名。ほとんどが還暦を過ぎた人達だ。蝶ネクタイに礼服姿で舞台に現れた。
髪の毛が真っ白だったり、かなり薄くなったりした人たちだが腰の曲がった人は一人もいない。胸を張りさっそうと舞台に立っている。

榊原郁恵の「しあわせのうた」から始まった。
「東に住む人はしあわせ」「北に住む人はしあわせ」「南に住む人はしあわせ」「西に住む人はしあわせ」
髪の毛の少なくなった指揮者の身体が大きく揺れている。二列に整列したトップテナー、セカンドテナー、バリトン、ベースのメンバーも大きく揺らしながら歌っている。

鳥肌がたつような感動を覚えた。なんとすばらしい歌声、光景ではないか。ボクは生の男声四部合唱を初めて聴いた。

しあわせのうたに続いてルイズィアナ・ララバイ、涙そうそう、Goodnight Sweetheart、lt’s Time To Go、 Side By Side、千の風になってと初老の合唱団の歌声が続いた。

二列に整列した後列の左端に市川皓造さんが歌っていた。

市川さんはボクが二十九歳で九州の薬問屋から外資系製薬会社に転職した時の最初の上司だ。七三に分けた髪型、髪の毛一本の乱れも無く、スーツ姿がかっこよく、アラミスの匂いが都会的だった。
生理解剖、薬学、製品知識など基礎学習を市川さんから教わった。戦略戦術、会議の進め方もそれまで学んだものと全く違い新鮮だった。

学生時代から合唱をやっていることは、他から聞いていたが本人から聞いてなかった。
早稲田大学OBの合唱に続き、ハーバード大学のクロコディロスの若い合唱を聴いた。十二名のメンバーは一年生から四年生で構成されている。出身地もアメリカの各地の外にインド人、中国人と国際色豊かだ。早稲田のOBより激しい動きのあるアクションと合唱を楽しませてくれた。

ボクは早稲田大学のOBでないのだが市川さんに誘われて、打ち上げ兼レセプションに参加した。

ワインを飲みながら市川さんと奥さんを交え楽しく会話した。
途中で合唱団のメンバーの一人が舞台に上がり指揮をはじめる。会場内の其々のテーブルから大合唱がおこる。
横にいる市川さんも話を止めて合唱に加わる。間近で聴く市川さんのトップテナーのすんだ声が耳に気持ちよく響いた。

二十八年前、真剣な顔で仕事を教えてくれた市川さんが少し薄くなった七三の髪型に品の良い髭を蓄え、アラミスの匂いを昔のままに放ちながら真剣な顔で歌っていた。

その内 ハーバード大学の合唱団と早稲田OBの合唱団が舞台に上がり肩を組んで早稲田の応援歌を歌い始めた。国籍も人種も年齢も様々だが一つのうたで舞台が一体になり、四部合唱の歌声が会場の皆を包んだ。

人間っていいナー。


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2007⁄07⁄04(Wed) 06:28   未分類 | Comment(7) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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