陶芸に関する悪戦苦陶の話
偉い人(第百三話)


テレビで10億円を寄付したおばあちゃんが放映された。
横溝千鶴子さん八十八歳 米寿の記念に自分の住む市に寄付したそうだ。短いニュースだったが市長に10億の現金を手渡す映像に驚いた。

そのニュースは、朝日新聞の青鉛筆のコラムに小さく紹介されていた。
元高校教師で、夫とともに設立した厨房設備会社の社長を務めた。四十数年前に教育基金づくりに10億円をためると決め、宝石も買わず、風呂水を洗濯、トイレにも使うなど、節約を重ねたと紹介されていた。
ボクは、偉い人だと思った。

偉いを広辞苑で調べると、すぐれている。人に尊敬されるべき立場にある。とある。

近頃 偉い立場にある人達が謝罪のため並んで頭を下げている映像が放映される。偽装 偽造 疑惑など悪いことをした人達らしい。
二人の場合もあるし五人くらい並んで頭を下げている場合もある。繰り返し放映される。組織を代表する偉い人が水戸黄門にでてくる悪代官や悪徳商人に出てくる顔にみえてくる。
始めて日本に来た外国の観光客がテレビでこの光景を見て何かの儀式かと不思議がったそうだ。

昔も今も 高い地位にある人は、人より能力があり人一倍努力し、金も名声も得た。名声は、自分の為でなく人のために身を粉にして働き、人々から与えられた。
ボクの子供の頃は、偉いといわれる地位にいた人達が本当に偉かった。

現在の偉い人達は、金を稼いだ後、もっと稼ごうとする。金の為なら何でもする人が多いような気がする。
偉いといわれる地位にいる人達が本当に偉いのか疑わしい。
地位の高い人達が並んで頭を下げている映像を見るたびボクは考えてしまう。

日本の高校生は米中韓の高校生よりも「出世意欲」が低いこという調査結果が、ある。
「偉くなりたいか」という問いに、「強くそう思う」と答えた高校生は中国34.4%▽韓国22.9%▽米国22.3%に対して、日本はわずか8.0%。卒業後の進路への考えを一つ選ぶ質問では、「国内の一流大学に進学したい」を選択した生徒は、他の3国が37.8〜24.7%だったのに対し、日本は20.4%にとどまった。
米中韓に比べ、明確な目標を持てない日本の高校生の実情が浮かんだ。
理由は、いろいろあると思うが偉い人たちの哀れな謝罪放映も要因の一つのように思える。

地位の高い人たちが頭を下げて言い訳をしている光景を見て育った子供達に偉くなれと言うのは無理なことかもしれない。

中国古典では、『上善は水の如し』と言って、世の中で一番良い生き方は、水の持った性質をかね備えた人物だと言っている。水はあらゆるものに潤いを与えて、多大の恩恵を与えるけれども、それでいて、高きを競うこともない。むしろ人のいやがる低いところでいつも安らかにしている。

テレビで頭を下げている偉い人たちを集めて、元高校教師だった横溝千鶴子さんに「本当に偉い人とは」について説教をしてもらったらどうだろうか。

チョイト遅いか。






2007⁄11⁄28(Wed) 06:27   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
大工仕事「3」(第百二話)


改築を始め一ヶ月で築四十年の民家が陶芸工房として生まれ変わった。
外から見ると民家だが一歩中に入ると立派な陶芸工房だ。
玄関を入ると漂っていた古屋の臭いが消え、新しくした床板や棚から新木の臭いが発し工房中に漂っている。入っただけで、やるぞという気持ちになる。

二間あるうち四畳半がロクロ場になった。
ロクロに土の塊を乗せ両手でバンバンバンとたたく。ロクロのスイッチをいれ、土殺しを始める。快調に上がったり下がったりする。中心が出ると初窯に入れる湯飲みを製作する。鼻歌が出る。

やると思えば どこまでやるさ
 それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世はやみだ
   なまじとめるな 夜の雨

チョイト古いが何故か村田秀男の「人生劇場」である。

二 三度 繰り返していると土殺しのとき床が揺れているのが気になりだした。
畳床に直接ベニヤ板を張ったのが原因らしい。留め方にも問題がありそうなのに気が付いた。
12mmと9mmのベニヤ板を合わせているがさらに12mmのベニヤ板を重ねて補強した。留めるためのビスは、今までの倍打ち込んだ。

ロクロを回した時の揺れが少なくなったが実際に作業を始めると足りないものが次から次に出てきて作陶が中断してしまう。
ロクロ周りの手桶台、小物の道具棚、本棚を作った。

足りないものを作る作業だけでなく、作業の失敗で作り変えなくてはならないものもある。

今回 床板のベニヤ板を電動ノコで縦切りしているときに失敗した。

作業台の上に12mmのベニヤ板を乗せ、作業台に上がり縦切れにノコを入れた。電動ノコは、ウイーンと音をだしながら順調に真直ぐ切れた。電動ノコの使い方だけなら本物の大工さんと変わらないと満足しながら作業台から降りた。

床を見ると切ったベニヤ板の他に厚い板が下に落ちている。アレッと思ったら作業台の天板を縦に30mm幅で切っていた。

ベニヤを切る位置が天板の外でなくてはいけなかったのだが真直ぐ切る事ばかり気にしていてベニヤ板と天板が重なっているのを確認しなかった。

八十歳の大工の師匠から見習った怪我をしない細心の注意は、出来ているのだが肝心の基本的注意を怠ったようだ。


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2007⁄11⁄20(Tue) 23:32   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
土瓶蒸し(第百一話)


朝夕が寒くなってきた。一日の仕事が終わり駐車場に車を入れ、自宅まで歩く。冷たい空気がギュッと肌を締める。自宅に着く頃、猛烈に熱燗が呑みたくなる。

熱燗の肴には、土瓶蒸しがボクの最上級の贅沢だ。この季節 一度か二度 カミサンに土瓶蒸しを作ってもらう。

土瓶蒸しには、松茸 鱧 才巻き海老 銀杏 三つ葉 酢橘が入っている。

これらの材料を揃えると安サラリーマンの晩酌の肴としては、贅沢すぎて、とても我家で一年に一回でも作ってもらえない。

我家の土瓶蒸しには、松茸が入っていない。代わりに椎茸を使う。魚の切り身には、鱧でなく鯛を使う。海老は、高いこともあるが臭いが強すぎるので入れない。
標準的な土瓶蒸しと同じ具は、銀杏と三つ葉だけだ。
酢橘は、もちろん使わない。大分出身のボクは、カボスだ。

吸地は、我家の秘伝の出し汁に塩 淡口醤油 酒で味を調えてある。
料理の仕方も標準とかなり違う。出し汁に材料を入れて直接ガスコンロにかけて煮る。吹き上がる寸前で火を消し食卓に出てくる。

我家の土瓶蒸しは、蒸しさずに煮る。作り方も中身も違うので土瓶蒸しでなく土瓶煮と言った方が正しいのかもしれない。

我家には、土瓶蒸し用の土瓶が二つある。一つは、紅葉の絵が施されている。もう一つは、最近購入した織部である。どちらも安売りで買ったので千円以下だ。

ボクは、土瓶にセットされたぐい飲みに汁を注ぎチビリと味見をする。そして 蓋を開けカボスを絞る。もう一度 チビリと味見をする。

気に入りの徳利に日本酒を入れて熱燗にする。ボクの作ったぐい飲みに熱燗を注ぎグイと呑む。土瓶煮の汁をチビリと口に含む。そして熱燗をグイと呑む。
再度 蓋を開けて具に箸をつけてつつく。そして 熱燗をグイと呑む。

日本食通は、土瓶蒸しに合う酒として大吟醸が良いとか、本醸造とか、いや純米とうるさい。ボクは、特に銘柄も等級にもこだわらない。日本酒なら何でも良いのだ。

土瓶の中身がなくなる頃、ボクは最高に気持ちが良くなる。そして 土瓶が気になり始める。

紅葉の土瓶も織部の土瓶も安い割には、良い姿をしている。しかし 個性がないのだ。
我家の土瓶蒸しの中身は、土瓶蒸しの枠を超えた強力な個性を有している。
個性のない器と個性の強い中身。バランスが悪る過ぎる。

中身に合う個性的な土瓶を作ろう。酔っ払った頭で毎年思うがまだ出来てない。


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2007⁄11⁄14(Wed) 03:57   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
百話(第百話)


毎朝 自宅から駐車場まで五分ほど歩く。街路樹のはなみづきが色づき始めた。
今年の暑さで はなみづきの紅葉が疲れ果てた色をしている。いつもの年よりきれいでない。

エッセイをブログに掲載し始めて二年になる。最初の半年は、気の向いたときに書き、掲載した。昨年の三月からは毎週更新し、今回で百話になった。

百と言う数字に ボクは、特別な思いがある気がする。
子供の頃のテストの点数。営業マンであるボクは、毎月 目標に対する100%達成。何れも難しい事だが達成したときの満足感は、何にも代えられない快いものがある。

「直筆で読む 坊ちゃん」が売れているそうだ。この本は、夏目漱石が四十歳の時に三週間で書き上げたといわれる有名な「坊っちやん」の直筆原稿を写真版で完全収録したものである。
パソコンが普及した現在も原稿を直筆で書いている作家は、今でも多いという。パソコンで書くより実際に書くほうが頭の働きがよく、良い文章ができるという。

ボクは、ワープロがこの世に存在しなかったらエッセイを書いていないと思う。
手書きだと原稿用紙一枚書くのに一週間はかかる。字が下手で漢字が書けず、書くのが遅いのが原因だ。
ワープロは、削除や貼り付けができ、知らない漢字も即座にでてくる。簡単に文章ができるのだ。近頃の若い作家は、ワープロ派が多いと言うのも納得できる。

簡単になったが毎週の更新は、サラリーマンのボクにとって きつい時もある。特に出張や会議が重なると厳しくなる。日程もそうだが題材が枯渇するときが一番きつい。

昔話の「鶴の恩返し」に出てくる鶴が羽を抜いて機(はた)を織ったようにボクは、髪の毛を抜いて夜中にエッセイを書いている。ボクの場合、書いているところをおじいさんに見られたから出来なくなったと言うわけではない。もちろん 抜く髪の毛がなくなって出来なくなったと言うわけでもない。髪の毛だけなら後 百話分くらい残っているのだ。

題材がなくなり、もう止めようと思うときがある。

ブログに毎日アクセス数が表示される。毎日十人以上のアクセスがある。
未熟な文章だがコメントを書いてくれる人がいる。
師匠から「書いた文章は、十人読んでくれる人がいれば充分」といわれているのを思い出し、又 夜中に髪の毛を抜きエッセイを綴り始める。

改めて今までの九十九話を読み返すと未熟である。最近の文章は、最初に比べると上達した部分もある。
もう少し続ければもっと読みやすくなるかもしれない。
器作りも自分に上達が目に見えるので楽しい。エッセイも同じ楽しみがある。

紅葉も毎年きれいに色づくとは限らない。自分から楽しんで赤く色づいているわけでもなかろう。一生懸命 色づいているわけでもなさそうだ。毎年同じことを繰り返し、きれいな年もあるしそうでないときもある。

続けていればボクのエッセイも読みやすくなり、皆から賞賛される時がくるかもしれない。






2007⁄11⁄07(Wed) 06:24   未分類 | Comment(4) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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