陶芸に関する悪戦苦陶の話
初窯「1」(第百七話)


午前一時三十分に起床した。実は、もっと早くから目が覚めていた。
工房が住宅地にあり、周りの迷惑を考えじっと起きるのを我慢した。
前夜 カミサンが用意してくれた厚手の股引とシャツを着込み雪だるまのように膨れた格好で自転車に乗った。

二 三分で工房に到着する。周りに迷惑に生らないように静かに電気を点けて工房を明るくする。

先週 窯が取りつけられ、翌日素焼きをした。点火の手順は、充分理解できているつもりだがもう一度マニュアルで確認する。

灯油タンクが満タンである事を確認する。タンクの元栓を開ける。ダンパーを全開にする。ドラフトが全閉になっていることを確認する。温度計を窯の中に差し込む。バーナーの主電源スイッチと点火スイッチをONにする。送風機の送風板を15mm開ける。電磁ポンプの頭部にあるボタンを押す。電磁ポンプの目盛りを0.75に合わせる。

この動作を指でさしながら三回繰り返し確認した。

午前二時三十分に点火した。
灯油の臭いがし、煙とともにボーットした炎が窯の両側のバーナーから立ち上がる。
扉を開いたまま炎の様子をみる。十五分程経つと炎が安定してきたのを確認し、扉を閉める。

焼成グラフに午前二時三十分点火、温度5度と書き込む。

あっ 神様にお神酒を供えるのを忘れていた。あわてて前夜準備したお神酒と塩とコンブを供える。

帽子をとり二礼 二拍 一礼し、無事に窯焚が出来るようお祈りする。

もう一度 窯小屋の周りを確認する。煙突の煙を確認する。ダンパー、ドラフト、送風、電磁ポンプを確認する。異常なし、時計を見ると三十分が過ぎた。温度計は、早くも64度を指している。

外の気温は、5度なのだが寒くない。緊張しているのだ。

最初に窯焚をした宮崎の縄文工房は、人里から離れた山の中だった。窯小屋は、薄暗く霊気が漂い怖かった。そして冬は、寒かった。立川のMAio108の窯小屋も多摩川の堤防の外側にあり暗く寂しく怖かった。三方を囲っただけの小屋なので、冬はものすごく寒かった。

ボクの新しい工房は、住宅地の中にある為、周りが明るく怖くない。緊張していることもあるが今までに比べると全く寒さを感じない。

午前五時になると東の空が白み始める。窯焚をする時、このゆっくりした時間の流れが好きだ。窯焚の異常な緊張が取れホッとする時間だ。

七時を過ぎた頃、工房の机で焼成グラフをつけていると朝日が工房の窓から入ってボクの顔を照らした。
ボクは、舞台でスポットライトを浴びた役者の気分になった。






2007⁄12⁄26(Wed) 05:50   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top
窯の選定(第百六話)


工房を契約するとき、本当にやれるのだろうかと迷った。そして窯を選定するのは、それ以上に迷った。

陶芸の窯には、窖窯(あながま) 登り窯 ガス窯 灯油窯 電気窯がある。

縄文時代 弥生時代の土器は、野焼きで焼かれた。野焼きは、地面を少し掘って作品を置き、その上に草木を燃やして焼く。この方法だと温度が900度くらいまでしか上がらない。
紀元四 五世紀半ば(飛鳥時代)に中国から朝鮮を経てロクロ技術とともに 窖窯が伝わってきた。窯が伝わったことにより1000度以上の焼成が可能になった。
十六世紀末 朝鮮から九州の唐津に登窯が伝わった。

近年 登り窯の燃料となる薪(赤松)の確保が難しくなってきたことと、登り窯の排出する煙の問題があり電気窯やガス窯、灯油窯が普及してきた。

電気窯 ガス窯 灯油窯は、登り窯や窖窯に比べ窯焚が労力的に楽なことに加え、安定した焼成ができる。

東京の陶芸教室は、工房が住宅地にある為、電気窯を使っている教室が多い。安全で操作が一番楽なのが採用されている理由だ。煙突がないため、ご近所に心配をかけないのも大きな理由だろう。

ボクは、宮崎で陶芸を始めたときガス窯で窯焚を習った。バーナーが六基ついた大きな窯だった。
初めての窯焚のとき、炎に恐怖を覚えたが今まで経験したことのない興奮があった。そして 全てを忘れ、窯焚に没頭していた自分がいた。

ボクの求めている作品が 焼きしめということもある。それ以上に最初の興奮が忘れられず、東京に戻ってからも炎のでる窯での焼成を続けている。

初めて窯を選択するのに電気窯は、ボクの選択肢になかった。炎のでる窯でやると決めていたのだ。
炎の出る窯でガス窯にするか灯油窯にするかで迷った。本当は、ガス窯を選択したかったのだが工房のある場所が住宅地ということで灯油にした。

宮崎の縄文先生(原田師匠)に灯油窯を選択したと話すと「灯油窯の方が怖いよ」という。先生の話だとガス窯の方が安全だそうだ。

しかし 住宅地の中に大きなガスボンベを設置しただけで近所からクレームがでそうである。
 
民家を工房に改築した当初は無関心だった近所の人が、窯小屋に煙突が立ったらチラッツ チラッツと見に来るようになった。
まだクレームは、でてないようだが油断できない。

ボクは、無煙を売りにしているS社の灯油窯を選んだ。


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2007⁄12⁄19(Wed) 06:44   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
築窯(第百五話)


師走に入った最初の週末 工房へ窯が築かれた。

午前中に窯を設置する小屋が組み立てられた。小屋は、ヨド物置である。450kgの窯を支える為、物置小屋の整地としては、念入りに土を固めた。
水平を確認しながらブロックを敷く。特に窯の据付けられる真ん中少し後ろは、ぎっしりとブロックが敷きつめられた。

床 側面 裏面の壁 屋根が取り付けられ、入口部分を残し出来上がった。窯小屋の全体像が見えてきた。築四十年の小さな工房に並ぶと大きくて立派な建物だ。

全体像が出来上がった頃、窯の業者が二人、クレーン車付のトラックで到着した。トラックの荷台に積まれたボクの窯は、意外に小さく見えた。将来 陶芸教室をやるときの為、一回り大きな窯を注文したのだが小さく感じる。

クレーン車で吊り上げ一旦 敷地内に入れる。もう一度吊り上げられた窯は、小屋の中へ敷かれたレールの上に下ろされた。
窯は、勾配の付いたレールの上をゆっくり小屋の中に入っていった。

小屋に収まってみると 高さが、幅1m14cm、奥行き1m36cm、高さ1m43cmの窯は、大きい。

窯にバーナーや給油タンクが取り付けられる。屋根に穴が開けられ煙突が取り付けられた。

前夜 ボクは、興奮して眠れなかった。小屋の中に据付けられた窯を見たとき、興奮が絶頂に達した。

小学生時代に父親から野球のグローブを買ってもらった時の興奮に近い。その時 友達に見せたい、自慢したいと思った。
グローブを手に入れても決して野球が上手くなった訳も無く、友達から褒められる訳でもなかった。

しかし 言葉にいえないほど嬉しいのだ。踊りたいほど嬉しいのだ。

ボクは、今まで自分の手で築窯している二人の陶芸家に出会ったことがある。
一人が鹿児島県 種子島の能野焼 窯元 福元陶園の福元秀義氏、もう一人が宮崎県 北川町 陶房 夢境庵の小野夢境氏だ。
どちらの窯元も登り窯で焼成している。

時期は、異なるがどちらの窯元にも二三年通っている間に新しい窯を築く現場を目撃することができた。

その現場を見た時 窯を築くことは、大変な作業だとおもった。二人から窯を焚くときの苦労話は聞いたが窯作りの苦労については何も聞かなかった。出来上がった窯の自慢話も聞かなかった。

プロの陶芸家にとって窯は、あくまで道具の一つなのだろう。出来上がった作品が何ぼの世界で窯がいくら立派でも始まらない事を知っている。

窯を築く事は、プロの陶芸家でも子供時代に欲しかったものを手に入れた時に似た喜びがあるに違いない。しかし それが何ぼにもならないことを知っているのが本当のプロだろう。

これからである。ここからなのである。


窯3



窯1









2007⁄12⁄12(Wed) 06:34   未分類 | Comment(6) | Trackback(0) | ↑Top
左馬(第百四話)


今年は、冬が急激にやってきた。窯を入れる日程が決まり、工房の内装を急ピッチで仕上げた。

初窯で焼く予定の湯飲み茶碗に左馬の絵付けをした。

宮崎で陶芸を習い始めた時 最初についた師匠は、画家から陶芸家になった人だった。
信楽の白粘土で作られた作品に、ベンガラで絵付けをするように教えられた。ロクロを回したくて陶芸を始めたボクは、非常に不本意だった。元々 絵を描くこと字を書くことが苦手なので、陶器に絵を付けるなど出来るわけがなかった。

その先生の工房で ボクは、絵を描かずロクロを回し続けた。そして 破門同様に逃げ出した。

近代陶芸の父と言われる北大路魯山人は、元々 書家だった。当初 魯山人も陶器に絵付けすることに苦労したという記載がある。難しさは、描く陶器が立体であることが大きな原因だ。それと 素焼きしたボディーにしろ、素焼き前のボディーしろ絵の具が思うように塗れないことに難しさがある。筆が滑らないのだ。

ボクは、五十歳で陶芸を始めた。窯を持つのは、今回が最初で最後になるだろう。

出来たら避けたい絵付けだが人生で一回の初窯である。お世話になった人達にせめて左馬の湯飲みで喜んでもらいたい一心で左馬の絵付けを始めた。

左馬は、馬の字が逆さまに書かれている将棋駒が有名である。家を新築した人や商売を始めた人への贈り物として重宝されている。左馬は、福を招く商売繁盛の守り駒とされている。
「うま」を逆さまから読むと「まう(舞う)」で 古来、舞はおめでたい席で催される事からめでたいとされる。

焼物では、新しく築いた初めての窯焚に成功を願って左馬の描いた作品を焼いたそうだ。
文化文政の頃 備前で左馬の茶碗は、病魔 中風除けとして縁起の良いもとして扱われている。

窯が入る予定が決まったとき、左馬を描く練習を始めた。
家族が寝静まった早朝 静に起床する。顔を洗い目薬をさす。台所でお湯を沸かし、お茶を入れる。そのお茶をズルズルすすると目が覚める。
棚から硯を取り出す。硯に水を垂らし、ゆっくりと磨る。墨の匂いが鼻腔から入り心地良い。左馬は、ガラスに書いた馬の字を反対側から見る字に書く。最初 眠ったような馬が、段々 左回りに尻尾をなびかせ走っているイメージが出て来た。

ボクの中では、最高の左馬に出来上がった。習字紙に描いた見本を工房に持ち込み、生土の湯飲みに絵付けを始めた。
早朝特訓の成果がなく、筆が走らないのである。

天馬のように見えた見本と全く異なり、縮こまった馬になってしまった。にわか仕込みの絵付けでは、仕方がない。

出来ることは、全てやったのだ。
後は、走る馬になるよう、窯の神様にお願いするしかない。


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2007⁄12⁄05(Wed) 06:16   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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