陶芸に関する悪戦苦陶の話
工房開き(第百十二話)


会社のOBである先輩方が午後二時 料理やお酒を持参して工房開きに駆けつけてくれた。

エッセイの師匠である医療コラムニストの西寺桂子さんが弟子の工房開きを皆に呼びかけてくれた。
ボクは、先輩方に飲み会だけでなく、陶芸体験をしてもらうことにした。

まず窯開きを体験してもらった。続いて 手捻りと紐作りで抹茶茶碗やぐい飲みを製作した。初めて粘土を触る人もいて、全員 子供のような表情で製作してくれた。
一時間くらいで個性的な器が並んだ。

持ち寄った料理で宴会が始まった。手作りコロッケ、自分の別荘で栽培した里芋とイカを合わせた煮付け、さば寿司と工房の中に豪華な料理が並んだ。飲み物も濁酒や金粉入りの日本酒が並び、工房が即席の居酒屋になった。

宴会の頃合を見計らって、ボクは、「焼物について」の講義を始めた。

ボクは、この一週間 講義のため時間をかけて準備した。今回 ボクが一番やりたかったのが焼物について講義をすることだった。この十年間に勉強した焼物の知識を披露したかったのだ。いや 見せびらしたかったのだ。

食事の前に下手な話をすると先輩方から叱られそうなのでヨーロッパ方式を取り入れた。
ヨーロッパの医学界では、アルコール付の食事をしながら聴く講演会がある。日本の学会でもランチオンセミナー、イブニングセミナーなどアルコールはないが食事しながら聴く講演は、一般的になっている。

講義の内容は、焼物が、一焼 二土 三細工(作り)と言われる理由を中心に組み立てた。焼では、野焼き 窖窯 登り窯 電気窯 ガス窯 灯油窯などについて話した。土では、粘土が採れる土地が窯業地として栄えたことについて語った。作りでは、手捻り 紐作り タタラ作り ロクロについて話した。歴史や分類についてもっと深く話したかったが、せっかく楽しいお酒に下手な話で水をさしてはいけないので今回は、触りだけにした。

触りだけにした理由は、他にもある。
この会を呼びかけてくれた西寺桂子さんは、陶芸の経験者で各地の窯業地を回り焼物についての薀蓄が深い。それと名古屋と京都出身の先輩がいて、ボクよりはるかに知識がありそうなのだ。
深く話すと化けの皮が剥がされるのがチョイト怖かった。

いろいろな質問があり、十年間蓄えた知識を充分に披露することができた。ボクは、大満足だった。

先輩方は、ボクの工房開きということで、恥をかかせないようにやさしい質問をしてくれたようだった。


初窯左馬






2008⁄01⁄30(Wed) 06:37   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
星の数「舞踊会」(第百十一話)


今年の正月は、日和が続いた。古家を自分で改装した工房で作陶を開始した。ロクロの回転も上々である。

正月の五日 ロクロの手を早めに切り上げ、夕方から舞踊ショーに出かけた。

京王線の下高井戸駅で世田谷線に乗り換え宮坂駅で降りる。世田谷区宮坂は、住宅地の中にあり人通りの少ないところだ。
会場は、駅に隣接した世田谷区宮坂地区会館 地下1階 多目的ホールになっていた。

会場は、多目的ホールの中央がボードで仕切られている。仕切られた左側が会場で右側が楽屋になっている。会場には、60席の椅子が並べられていた。舞台が無く、客席の前方のスペースが仮設の舞台だ。幕もなく仕切られた楽屋の声も客席に聞こえてくる即席の劇場だ。開演の時間になったが満席にならなかった。

舞台は、正月らしく華やかな出し物が多かった。舞踊だけでなく寸劇やお笑いを組み合わせた楽しい舞台だった。まだ名前の売れていない若い役者が日頃の稽古の成果を一生懸命に踊った。小さく空席のある劇場だが若い役者の熱気で膨れ上がった。

翔舞の会「新春ふれあい舞踊」 役者の友人 衣川城二が主催し、演出した舞踊会だ。

役者 衣川城二は、舞台に立つ傍ら若い役者の演技指導をしている。毎週 世田谷区の宮坂地区会館の部屋を借り練習している。四人の弟子は、衣川から舞踊や立ち回り 発声など役者の基本を厳しく指導される。稽古は、師匠から罵声が浴びせ続けられる。「何度言ったら分かるんだ」「何でそれが出来ないんだ」「もっと気持ちをこめてやれないのか」
職場で言ったらパワハラで訴えられるだろうと思われる言葉が突き刺さる。

今年 弟子の石川治雄が演出家 鈴木忠志が率いる劇団SCOTのオーディションでメンバーに選ばれた。役者としてひとり立ちする。
そして石川雄亮がフジテレビで1月25日(金)午後9時に放映される金曜プレステージ特別企画「天河伝説殺人事件」への出演が決まった。

今回の舞踊会は、師匠 衣川城二が弟子の旅立ちに企画した餞(はなむけ)の会だ。

役者を目指す若者は、コンビニやガードマンのバイトで生活しながら夢を追い続ける。

演劇は、歌舞伎や能 狂言 文楽(人形浄瑠璃)などの古典芸能、宝塚や前進座 四季 吉本などの新派、文学座や民芸座 青年座の新劇、大衆演劇(ドサ回り)がある。それぞれの劇団は、スターと言われる甲板役者がいる。その下にスターを目指す若い役者が、星の数ほどいる。

今 舞っている役者達も星の一人だ。

その中から役者で飯が食えるのは、ほんの一握りだ。






2008⁄01⁄23(Wed) 06:53   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
新井 満「千の風になって」(第百十話)


新井 満は、「千の風になって」で昨年の日本レコード大賞作曲賞を受けた。
「千の風になって」のCDは、昨年110万枚を超える大ヒットした。
ボクは、秋川雅史の歌う「千の風になって」の作曲が新井 満であることを朝日新聞の「ひと」のコラムで知った。

ボクが新井 満を知ったのは、二年ほど前に読んだ「般若心経」の自由訳本だった。この本は、般若心経を分かりやすく解説していた。
般若心経は、貴賤(きせん)上下の区別なく全ての人に対して生きる勇気と希望を与え励ましてくれる “命の経典”である。と新井 満は、言っている。

ボクは、新井 満を仏教関係の人だと思っていた。

昨年 テレビやラジオから
「私のお墓の前で泣かないでください  そこに私はいません眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています」

「死んでなんかいません」「千の風になって」「千の風になって」と何回も耳に飛び込んできた。
千の風になっては、昨年 日本中の心をふるわせた。ボクの心もふるえた。

この歌は、新井 満の友人の妻の死から生まれたそうだ。この妻は、地域に足をつけた社会貢献活動を行う人だった。たくさんの仲間が協力して追悼文集をだした。

その中に「千の風になってー川上桂子さんによせて」という文集だ。
これを読んだ新井 満は、感動して原詩の英語詩に彼なりの翻訳をつけ作曲した。

六年前 私家版のCDを数枚だけプレスし、その一枚を友人に送った。
CDは川上桂子さんを偲ぶ会で披露された。集まった仲間は、皆泣きながらこの歌を歌った。

ボクは、昨年「窓際のロクロ挽き」を私家版で100部刷った。そして友人に配った。

友人達は、涙の代わりに笑いながら読んでくれた。

新井 満の私家版「千の風になって」は、六年かけてブレイクした。

ボクの「窓際のロクロ挽き」も もしかして六年後 ブレイクするかもしれない。

「え 新井 満さんは19年前の芥川賞作家だって」

能力が違いすぎるか・・・






2008⁄01⁄16(Wed) 06:23   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
窯開き(第百九話)


窯開きに集まった六人が見つめる中、初窯を開けた。
開いた瞬間、皆から「オー」と声が上がった。

先輩方(会社のOB)が「どうしょう花」の工房開きをしてやろうとクリスマスの週に集まってくれた。

ボクは、この日に合わせて一週間前に窯焚をした。

窯を開けるとき、いつでもドキドキワクワクする。今回は初窯のためドキドキが一層激しい。もしかして作品が全て割れているのでないか不安がよぎる。

せっかく遠くから集まってくれた先輩方をがっかりさせたくないと言う気持ちがありプレッシャーがあった。

そーっと扉を開けると今まで見たことの無い薄紫色が窯全体から見えた。
一番上に置かれた左馬の壷が目に入った。破損は、なさそだ。
全体を見渡す。特に問題はなさそうだ。

写真に撮り、窯だしをする。皆に手伝ってもらい手渡しで大壷から順番にだした。

ややっ 釉薬が剥がれて、左馬がめくれている茶碗がいくつかでてきた。
窯の焚き方が悪く左馬が暴れて出てきたようだ。イカン イカン・・・ボクは、あせった。
しかし ボクは、窯元として悠然とした態度で破損の説明をした。生の白化粧に左馬を施した作品は、大丈夫だった。素焼きした作品に黒化粧で左馬を施した作品が全て失敗のようだった。

先輩方は、失敗した理由などあまり興味がなさそうに出来上がった作品を口々に褒めてくれた。

「なかなか良いじゃないの」「すごいね」「これは使いやすそう」「きれいだ」

未熟な作品だがサラリーマンの片手間に作ったことを考慮しての評価だと思うが皆から褒めていただいた。
窯焚は、失敗がつきものである。一窯 全てが成功する事は、ほとんどない。
今後 プロとしてやっていく上にこの失敗を少しでも減らしていかなくてはならない。

自分の作品ならいくらでもやり直しができるが生徒の作品は、一回一回が勝負になる。

もしかして 将来 期限付きの注文があるかもしれない。その時には、言い訳が出来ないのだ。


窯だし1






2008⁄01⁄08(Tue) 23:13   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top
初窯「2」(第百八話)


顔に朝日を浴びながら朝食のおにぎりをほおばった。

最初に窯焚をした宮崎の縄文工房でも立川のMAio108工房でも窯焚の朝食は、おにぎりとインスタント味噌汁だ。

稲城工房では、昨夜カミサンに握ってもらった大きなおにぎり二個と朝コンビニで買ったインスタント味噌汁を食べた。
早朝から起きている為、いつも窯焚の朝飯は、うまい。

五時間を経過し、温度計は400度をさしている。取り扱い説明書では、点火から五時間で700度を超えている。
初めての本窯焚なので説明書どおりの操作をしている。温度が説明書どおりいかず、400度までしか上がっていないのだ。油を送る電磁ポンプのメモリを上げたいのだがじっと我慢する。

グラフのプロットが説明書に記されている見本と大きく乖離していく。なぜだ ボクはあせる。

窯焚には、酸化焼成と還元焼成がある。

酸化焼成は、窯内に充分酸素を供給する焚き方である。ローソクの炎の一番外側、白に近い黄色の部分が酸化焼成の時の窯の中の炎の状態である。窯内に酸素が3%くらいあり完全燃焼している状態だ。

還元焼成は、窯内への酸素供給を制限し焼成物(作品)から酸素を奪う焚き方である。ローソクの炎の一番芯の部分の青い部分である。窯内に酸素が不足して一酸化炭素が精製され、どこからか酸素を要求している状態だ。
このため作品の中の酸素を吸いだしてしまう。
窯の中が不完全燃焼している状態だ。

酸化焼成の焼物として織部(緑)や黄瀬戸(淡い黄)がある。銅や鉄分が含まれた釉薬が発色したものである。これらの釉薬を還元焼成すると赤色や薄水色になる。

ボクは、灰釉を主に使っている為、還元焼成することが多い。
灰釉薬を酸化焼成すると皆同じような白になる。還元焼成で灰になる前の植物の特徴がでてくる。くるみ 桜 松 椿 わら ブドウなど柔らかい自然な色がでてくる。

初窯では、窯に無理がないように酸化焼成するよう説明書に書いてあった。
今回は、還元焼成を我慢して酸化焼成にした。

説明書によると酸化焼成は、11時間で焼きあがることになっているが午後6時30分 16時間かかって、やっと1250度に達し消火した。


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■明けましておめでとうございます。
 「窓際の陶芸家」をご愛読頂き、ありがとうございます。
 昨年 100回目を掲載することができました。
 感謝もうしあげます。
 本年も宜しくお願い申し上げます。
                         どうしょう花
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2008⁄01⁄02(Wed) 07:49   未分類 | Comment(2) | Trackback(0) | ↑Top

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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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