朝の3時30分 アテネのホテルにチェックインした。
部屋に入ると外からコケコッコーと鶏の鳴き声が聞こえた。
稲城市の自宅を午前5時30分に出発して、時差7時間を加えると丸一日以上かけてアテネに到着した。自宅から成田空港まで1時間半、成田空港を10時30分に飛び立ちフランクフルトまで12時間。フランクフルトで乗り換えの為、7時間。フランクフルトからアテネの空港まで3時間。空港から数十分かかった。
ボクは、「思えば遠くに来たものだ」と口ずさみながら風呂に浸かった。
ボーットした頭で気が付くと観光バスの中にいた。普段もボーットしているのだが今日は、特にひどい。
営業所の同僚とギリシア旅行の話が持ち上がった。ボクは、特にギリシアに興味があったわけでない。加藤唐九郎の本にロクロがギリシアから伝ったとの記述があったのを思い出しついてきた。
バスの中には、同僚7名と新婚二組、ボクと同世代のご夫婦が一組 総勢13名が乗っていた。
アテネ市内をグルグル連れまわされてアクロポリス・パルテノン神殿に着いた。教科書の中で見たアクロポリスの丘に立っているんだと少しだけ感動した。
次にゼウス神殿を観たが同じ大理石の大きな柱が立っていてボクには、パルテノン神殿と同じに見えた。
アテネ観光の後、アテネから北北西の方向にあるデルフィに向かった。
昼食に立ち寄ったレストランで厨房のコックは、全員タバコを吸っていた。中年のウエイターも厨房でタバコを吸っている。おまけにそのウエイターは、料理を運ぶ時、口笛を吹いているのだ。
おまけに何処に行っても日本人の観光客と一緒だった。
デルフィのホテルも昼食のレストランも次の日のホテルも同じコースで同じ日本人だらけだった。
これじゃの日本の温泉に浸かっていた方がましかと着いてきたことに後悔した。
デルフィでの朝食後 ホテルを出て一人で散歩した。ホテルは、デルフィの繁華街から高い場所にあり、海の見える住宅街になっていた。
教会の傍に小さな小学校があった。校門の前で登校してきた子供に声をかけた。覚えたてのギリシア語で「カリメーラ」(おはよう)と挨拶した。10くらの子供達がボクの周りに集まってきた。流暢な英語で「どこからきたの」「観光できたの」「日本のどこから来たの」と話しかけてきた。
ギリシアの学校は、日本と同じで小6.中3.高3となっている。集まった子供は、10歳から12歳の小学5と6年生だ。
8時になると皆 校舎に入っていった。子供達から一緒に入ろうと誘われた。
バスが出発するのでと断り、皆に握手して別れた。
デルフィは、富山県利賀村と姉妹都市で日本と深い交流がある。ギリシアでは、小学校から英語が取り入れられている。
変な外国人のおじさんにも抵抗がなかった訳がわかった。
ギリシアが嫌になりかけたていたが、ギリシアの子供達とふれあい 一変に来て良かったと思った。


部屋に入ると外からコケコッコーと鶏の鳴き声が聞こえた。
稲城市の自宅を午前5時30分に出発して、時差7時間を加えると丸一日以上かけてアテネに到着した。自宅から成田空港まで1時間半、成田空港を10時30分に飛び立ちフランクフルトまで12時間。フランクフルトで乗り換えの為、7時間。フランクフルトからアテネの空港まで3時間。空港から数十分かかった。
ボクは、「思えば遠くに来たものだ」と口ずさみながら風呂に浸かった。
ボーットした頭で気が付くと観光バスの中にいた。普段もボーットしているのだが今日は、特にひどい。
営業所の同僚とギリシア旅行の話が持ち上がった。ボクは、特にギリシアに興味があったわけでない。加藤唐九郎の本にロクロがギリシアから伝ったとの記述があったのを思い出しついてきた。
バスの中には、同僚7名と新婚二組、ボクと同世代のご夫婦が一組 総勢13名が乗っていた。
アテネ市内をグルグル連れまわされてアクロポリス・パルテノン神殿に着いた。教科書の中で見たアクロポリスの丘に立っているんだと少しだけ感動した。
次にゼウス神殿を観たが同じ大理石の大きな柱が立っていてボクには、パルテノン神殿と同じに見えた。
アテネ観光の後、アテネから北北西の方向にあるデルフィに向かった。
昼食に立ち寄ったレストランで厨房のコックは、全員タバコを吸っていた。中年のウエイターも厨房でタバコを吸っている。おまけにそのウエイターは、料理を運ぶ時、口笛を吹いているのだ。
おまけに何処に行っても日本人の観光客と一緒だった。
デルフィのホテルも昼食のレストランも次の日のホテルも同じコースで同じ日本人だらけだった。
これじゃの日本の温泉に浸かっていた方がましかと着いてきたことに後悔した。
デルフィでの朝食後 ホテルを出て一人で散歩した。ホテルは、デルフィの繁華街から高い場所にあり、海の見える住宅街になっていた。
教会の傍に小さな小学校があった。校門の前で登校してきた子供に声をかけた。覚えたてのギリシア語で「カリメーラ」(おはよう)と挨拶した。10くらの子供達がボクの周りに集まってきた。流暢な英語で「どこからきたの」「観光できたの」「日本のどこから来たの」と話しかけてきた。
ギリシアの学校は、日本と同じで小6.中3.高3となっている。集まった子供は、10歳から12歳の小学5と6年生だ。
8時になると皆 校舎に入っていった。子供達から一緒に入ろうと誘われた。
バスが出発するのでと断り、皆に握手して別れた。
デルフィは、富山県利賀村と姉妹都市で日本と深い交流がある。ギリシアでは、小学校から英語が取り入れられている。
変な外国人のおじさんにも抵抗がなかった訳がわかった。
ギリシアが嫌になりかけたていたが、ギリシアの子供達とふれあい 一変に来て良かったと思った。


昨年の夏 エッセイの師匠 西寺桂子さんから北九州市自分史文学賞の募集を聞いた。
募集期間が平成19年7月1日から19年9月30日までになっていた。
大賞が1名 賞金200万円プラス(株)学研研究社による単行本発刊予定 佳作が2名 賞金が50万円 北九州市特別賞が1名 賞金が30万円になっていた。
ボクは、出版会社から単行本で発刊されると聞いて飛びついた。もちろん賞金の200万円 いや50万円でもいい。30万円でもいいからほしいと思った。
原稿用紙400字詰め原稿用紙200枚から250枚もしくは、ワープロ原稿の場合は、40字×30行とし、66枚から84枚までとなっていた。
今まで書き溜めた原稿の推敲を始めた。別に人から言われているのでないのだが出版会社から原稿をせかされている売れっ子作家の気分で自分を追い込みながら早朝に書いた。
締め切りの1週間前に原稿が完成し、梗概(あらすじ)をつけて投稿した。
入選発表は、平成20年1月中旬になっていた。1月10日頃からボクは、会社から帰宅すると郵便受けを確認した。22日になっても連絡がないのだ。23日(水)宿泊の出張があり留守をした。カミサンから携帯に電話があり「北九州市自分史文学賞」から封書が届いている連絡があった。
一日中会議もそぞろに過ごし、一目散に帰宅した。
北九州市自分史文学賞の封書がテーブルの上に置いてある。中から第18回北九州市自分史文学賞の審査結果についてのお知らせが出て来た。
受賞作の大賞にも佳作にもボクの名前がないのだ。
手紙には、今回377点の応募があったことが書かれていた。そして「あなた様の作品は、選外になりました」と書かれていた。
同じ週 朝日新聞の天声人語に103歳で亡くなった日本画家 片岡球子さんの記事があった。
若い頃は帝展や院展によく落ちた。「落選の神様」と呼ばれ当時を、後に女子美術大学の後輩たちに語っている。「展示会が近づくと、みんな私を避けて通るんだよ。ほんと悔しかった。負けないぞと思ったね」
と書かれていた。
片岡さんの代表作である「面構」シリーズは還暦後に描かれたとあった。
ボクは、来年還暦を迎える。
来年も挑戦するぞ。
募集期間が平成19年7月1日から19年9月30日までになっていた。
大賞が1名 賞金200万円プラス(株)学研研究社による単行本発刊予定 佳作が2名 賞金が50万円 北九州市特別賞が1名 賞金が30万円になっていた。
ボクは、出版会社から単行本で発刊されると聞いて飛びついた。もちろん賞金の200万円 いや50万円でもいい。30万円でもいいからほしいと思った。
原稿用紙400字詰め原稿用紙200枚から250枚もしくは、ワープロ原稿の場合は、40字×30行とし、66枚から84枚までとなっていた。
今まで書き溜めた原稿の推敲を始めた。別に人から言われているのでないのだが出版会社から原稿をせかされている売れっ子作家の気分で自分を追い込みながら早朝に書いた。
締め切りの1週間前に原稿が完成し、梗概(あらすじ)をつけて投稿した。
入選発表は、平成20年1月中旬になっていた。1月10日頃からボクは、会社から帰宅すると郵便受けを確認した。22日になっても連絡がないのだ。23日(水)宿泊の出張があり留守をした。カミサンから携帯に電話があり「北九州市自分史文学賞」から封書が届いている連絡があった。
一日中会議もそぞろに過ごし、一目散に帰宅した。
北九州市自分史文学賞の封書がテーブルの上に置いてある。中から第18回北九州市自分史文学賞の審査結果についてのお知らせが出て来た。
受賞作の大賞にも佳作にもボクの名前がないのだ。
手紙には、今回377点の応募があったことが書かれていた。そして「あなた様の作品は、選外になりました」と書かれていた。
同じ週 朝日新聞の天声人語に103歳で亡くなった日本画家 片岡球子さんの記事があった。
若い頃は帝展や院展によく落ちた。「落選の神様」と呼ばれ当時を、後に女子美術大学の後輩たちに語っている。「展示会が近づくと、みんな私を避けて通るんだよ。ほんと悔しかった。負けないぞと思ったね」
と書かれていた。
片岡さんの代表作である「面構」シリーズは還暦後に描かれたとあった。
ボクは、来年還暦を迎える。
来年も挑戦するぞ。
脱サラをして会社オーナーになった会社の先輩がいる。
昨年 5軒目の調剤薬局をオープンさせた。そして調剤薬局とは、全く関連性のない美容院を開業した。周りの人は、皆 驚いた。
その上 今年 居酒屋を開業する。周りの人達は、ますます驚き、気が触れたのでないかと思った人もいた。
居酒屋の経営は、彼の長年の夢だった。
その先輩は、ボクが陶芸をやっていると知り、小さい皿を50枚注文してきた。
ボクは、嬉しかったがまだサラリーマンを続けているので注文は受けられないとお断りした。代わりに小さい皿を贈ると約束した。
小さい皿には、豆皿と小皿がある。
豆皿は、直径が7から8cmの小さい皿をいう。酒の肴や珍味を少し盛つたり、醤油皿に使う。
小皿は、直径が三寸 約10cm前後の皿をいう。小皿は、手塩皿という。略して「手塩」または「おてしょ」ともいう。手塩皿は、付塩のことで膳に添えて出し食する人の好みで塩が加えられるようにしたものだ。
茶碗の大きさは、直径が12cm。両手の親指と中指でつくった円の直径が約12cmだ。これは、片手の中にちょうどしっくりなじむ大きさといえる。
昔 お膳には、茶碗が縦三列 横三列並ぶ大きさになっている。この大きさは、36cmあり女性の肩幅の大きさだ。そして廊下の幅が3尺 90cmになっている。日本の標準的廊下の90cm幅は、36cm×2+18cm(余裕幅)となっている。お膳をもって、楽にすれ違える広さだ。ここから畳の大きさが決まり、家の大きさになってゆく。
一般的なトイレットペーパーの幅が11.4cm。並レンガの大きさが23.0cm×11.4cm×6.5cm 作業するとき持ちやすい幅になっている。これをヒューマンサイズという。
以前 豊洲の居酒屋「安庵」に緋襷の豆皿を10枚贈呈したことがある。板前の小笠原さんは、即座に「これは使えない」と言った。小さすぎると言うのだ。
今回 これを思い出し、直径12cmの小皿を作ることにした。
出来上がりを12cmにする為にロクロ挽きは、14cmの大きさにした。
未熟な為、ロクロ形成した小皿は、13cmから15cmのバラバラなサイズで出来上がった。
焼き上がりは、11cmから13cmのサイズになりそう。
今は、お膳に並べるわけでないのでお客さんのヒューマンサイズに合わせて使ってもらおう。
同じ会社のサラリーマンから脱サラをして多角的に会社を経営する人がいる。
定年まで勤めてやっと小さな陶芸教室をやろうと計画している人がいる。
ヒューマン(人間)には、それぞれ 大皿サイズと豆皿サイズがあって良いのだろう。
昨年 5軒目の調剤薬局をオープンさせた。そして調剤薬局とは、全く関連性のない美容院を開業した。周りの人は、皆 驚いた。
その上 今年 居酒屋を開業する。周りの人達は、ますます驚き、気が触れたのでないかと思った人もいた。
居酒屋の経営は、彼の長年の夢だった。
その先輩は、ボクが陶芸をやっていると知り、小さい皿を50枚注文してきた。
ボクは、嬉しかったがまだサラリーマンを続けているので注文は受けられないとお断りした。代わりに小さい皿を贈ると約束した。
小さい皿には、豆皿と小皿がある。
豆皿は、直径が7から8cmの小さい皿をいう。酒の肴や珍味を少し盛つたり、醤油皿に使う。
小皿は、直径が三寸 約10cm前後の皿をいう。小皿は、手塩皿という。略して「手塩」または「おてしょ」ともいう。手塩皿は、付塩のことで膳に添えて出し食する人の好みで塩が加えられるようにしたものだ。
茶碗の大きさは、直径が12cm。両手の親指と中指でつくった円の直径が約12cmだ。これは、片手の中にちょうどしっくりなじむ大きさといえる。
昔 お膳には、茶碗が縦三列 横三列並ぶ大きさになっている。この大きさは、36cmあり女性の肩幅の大きさだ。そして廊下の幅が3尺 90cmになっている。日本の標準的廊下の90cm幅は、36cm×2+18cm(余裕幅)となっている。お膳をもって、楽にすれ違える広さだ。ここから畳の大きさが決まり、家の大きさになってゆく。
一般的なトイレットペーパーの幅が11.4cm。並レンガの大きさが23.0cm×11.4cm×6.5cm 作業するとき持ちやすい幅になっている。これをヒューマンサイズという。
以前 豊洲の居酒屋「安庵」に緋襷の豆皿を10枚贈呈したことがある。板前の小笠原さんは、即座に「これは使えない」と言った。小さすぎると言うのだ。
今回 これを思い出し、直径12cmの小皿を作ることにした。
出来上がりを12cmにする為にロクロ挽きは、14cmの大きさにした。
未熟な為、ロクロ形成した小皿は、13cmから15cmのバラバラなサイズで出来上がった。
焼き上がりは、11cmから13cmのサイズになりそう。
今は、お膳に並べるわけでないのでお客さんのヒューマンサイズに合わせて使ってもらおう。
同じ会社のサラリーマンから脱サラをして多角的に会社を経営する人がいる。
定年まで勤めてやっと小さな陶芸教室をやろうと計画している人がいる。
ヒューマン(人間)には、それぞれ 大皿サイズと豆皿サイズがあって良いのだろう。
新窯を開けると中から砂煙を上げて左馬の湯飲茶碗がドドドッツと元気良く駆け出してきた。
工房開きに駆けつけてくれた先輩がその様子を見て左馬の新説を披露した。
左馬は、色里で始まった。色里では、勢いのあるものが尊ばれた。勢いが良すぎて行きっぱなしじゃ困る。又 戻ってくるくるように馬の字をひっくり返して書いたのが始まりだそうだ。
江戸時代の大工さんが川崎大師へお参りに行くお話が紹介された。
大工:「おっかぁ 頭領に川崎大師へお参りに行こうと誘われちまった。こちとら大工だ。いつなんどき怪我をしないとも限らねぇ。こういうのも日頃の信心だから、行ってもいいかい?」
女房:「そりゃ いいことだねぇ。行っておいでよ。ただ 川崎だろう。途中に品川がある」
大工:「品川には、立て場がある。江戸から旅するものが、品川で馬に豆をたっぷり食わせてから行くそうだ」
女房:「両側に何があるのさ」
大工:「左側は海で、右側は山で・・・」
女房:「女郎屋があるじゃないか。お前さん、あそこで悪いことをしよてんだろ」
大工:「そんなこと しやしねえよ」
女房:「どうだか。それじゃあさぁ、あたしがおまじないをしてあげる」
そう言って女房は、夫のあそこに馬の字を書いた。帰ってきたときに馬の字が消えてなかったら、悪いことをしなかったという証拠というわけだ。
大工は、困った。これじゃ 遊べない。しかし 百戦錬磨の敵娼。使った後で書き直せばいいのよと一晩楽しんだ後、大工のあそこに馬の字を書いた。
家に帰って、大工の女房が、夫のあそこを確かめると、馬の字が左馬になっている。敵娼がいつもの癖で左馬に書いてしまったのだ。
女房:「お前さん、なんでひっくり返っているんだい」
大工:「そりゃ お前 行きと帰りでひっくりかえるんだ」
女房:「そうかねぇ、でも あたしはもっと細く書いたと思ったけど、この馬肥えてるね」
大工:「そうかもしれねぇな。なにしろ品川の立て場で豆食わせたから」
ボクの作った左馬の湯飲茶碗は、元気にボクの手元から飛び出していった。
色里では、客が返って来てくれないと、商売上がったりかもしれない。
しかし 茶碗屋は、手元から離れた茶碗が戻ってくると困るのだ。
男のあそこを珍しい宝と書くという説がある。
左馬にも珍説があって良いのかな。
工房開きに駆けつけてくれた先輩がその様子を見て左馬の新説を披露した。
左馬は、色里で始まった。色里では、勢いのあるものが尊ばれた。勢いが良すぎて行きっぱなしじゃ困る。又 戻ってくるくるように馬の字をひっくり返して書いたのが始まりだそうだ。
江戸時代の大工さんが川崎大師へお参りに行くお話が紹介された。
大工:「おっかぁ 頭領に川崎大師へお参りに行こうと誘われちまった。こちとら大工だ。いつなんどき怪我をしないとも限らねぇ。こういうのも日頃の信心だから、行ってもいいかい?」
女房:「そりゃ いいことだねぇ。行っておいでよ。ただ 川崎だろう。途中に品川がある」
大工:「品川には、立て場がある。江戸から旅するものが、品川で馬に豆をたっぷり食わせてから行くそうだ」
女房:「両側に何があるのさ」
大工:「左側は海で、右側は山で・・・」
女房:「女郎屋があるじゃないか。お前さん、あそこで悪いことをしよてんだろ」
大工:「そんなこと しやしねえよ」
女房:「どうだか。それじゃあさぁ、あたしがおまじないをしてあげる」
そう言って女房は、夫のあそこに馬の字を書いた。帰ってきたときに馬の字が消えてなかったら、悪いことをしなかったという証拠というわけだ。
大工は、困った。これじゃ 遊べない。しかし 百戦錬磨の敵娼。使った後で書き直せばいいのよと一晩楽しんだ後、大工のあそこに馬の字を書いた。
家に帰って、大工の女房が、夫のあそこを確かめると、馬の字が左馬になっている。敵娼がいつもの癖で左馬に書いてしまったのだ。
女房:「お前さん、なんでひっくり返っているんだい」
大工:「そりゃ お前 行きと帰りでひっくりかえるんだ」
女房:「そうかねぇ、でも あたしはもっと細く書いたと思ったけど、この馬肥えてるね」
大工:「そうかもしれねぇな。なにしろ品川の立て場で豆食わせたから」
ボクの作った左馬の湯飲茶碗は、元気にボクの手元から飛び出していった。
色里では、客が返って来てくれないと、商売上がったりかもしれない。
しかし 茶碗屋は、手元から離れた茶碗が戻ってくると困るのだ。
男のあそこを珍しい宝と書くという説がある。
左馬にも珍説があって良いのかな。
| HOME |



