ボクは、粘土の再生に風呂敷を使っている。
陶芸に使う粘土は、焼かない限り何度でも再生できる。陶芸工房で粘土の再生には、普通 土錬機が使われる。ボクの工房には、まだ土錬機がない。
ボクの工房では、作り損ねや削りででた粘土を乾かし粉にする。その粉状の粘土を風呂敷に包みバケツの中で水に浸す。数時間後に取り出し包んだまま乾かす。一週間ほどそのままにしておくと丁度よい硬さの粘土が出来上がる。その粘土をビニール袋に入れて数週間寝かせると再生粘土が出来上がる。
風呂敷に包むことでベタベタとした粘土の扱いが簡単にできる。
今 ほとんど見かけなくなったふろしきだがボクの子供の頃は、家の中に何枚もあり家族皆でよく使った。
弁当箱は、母が新聞紙に包みその上からふろしきに包み持たせてくれた。お使いに行く時もふろしきをもって行った。果物でも酒ビンでも大きいものも小さいものも ふろしきに包んだ。
大きな風呂敷から小さい風呂敷までいろいろあった。230cm四方の大きいサイズから40cmサイズまで10種類ある。
包み方には、お使い包み、かくし包み 二つ結び ビン二本包み スイカ包み巻き結び カゴ結び 箱結び シャンパン包み ビン包み 花ギフト包み 丸包み 四つ結び 二枚包み リュック 球包み 長包み 両端包み ブック包み バスケット包み ひっかけ結び 和風リボン包み シャツ包み さげ包み バナナ包み ふくさ結び 三角包み 円形包み お買い物包みと三十種類ほどある。
ボクの田舎では、部落の名前がついた包み方があった。背中に襷掛けに担ぐ時の包み方で沢田(さわた)背負いと言った。沢田部落は、学校のある中心部から遠くにある地域の為、荷物を持つ時 出来るだけ身体に負担のない包み方を皆がしていたので付けられたと思われる。
ふろしきの名称は、室町時代に風呂に入るとき着替えで敷いた布に由来する。古くは、奈良時代から布で物を包む文化があった。
数年前に小池百合子が環境大臣をしていた時、環境問題を考え「もったいないふろしき」の活用を提案したことがある。
環境省は、日本の伝統文化であるふろしきが、循環型社会を考え、レジ袋や紙袋に代わるものとして提案したのだ。
提案はよかったが、便利になれた現在人にふろしきの活用は難しかった。環境大臣が自ら宣伝して未だにふろしきが普及していないので、その難しさが分かる。
広げたふろしきを見ながらボクは考えた。あっちこっちで大風呂敷を広げることはあっても実際にふろしきを使うことはなかった。これからは、環境を考え、粘土の再生だけでなく 買い物などにも積極的に使っていこう。

陶芸に使う粘土は、焼かない限り何度でも再生できる。陶芸工房で粘土の再生には、普通 土錬機が使われる。ボクの工房には、まだ土錬機がない。
ボクの工房では、作り損ねや削りででた粘土を乾かし粉にする。その粉状の粘土を風呂敷に包みバケツの中で水に浸す。数時間後に取り出し包んだまま乾かす。一週間ほどそのままにしておくと丁度よい硬さの粘土が出来上がる。その粘土をビニール袋に入れて数週間寝かせると再生粘土が出来上がる。
風呂敷に包むことでベタベタとした粘土の扱いが簡単にできる。
今 ほとんど見かけなくなったふろしきだがボクの子供の頃は、家の中に何枚もあり家族皆でよく使った。
弁当箱は、母が新聞紙に包みその上からふろしきに包み持たせてくれた。お使いに行く時もふろしきをもって行った。果物でも酒ビンでも大きいものも小さいものも ふろしきに包んだ。
大きな風呂敷から小さい風呂敷までいろいろあった。230cm四方の大きいサイズから40cmサイズまで10種類ある。
包み方には、お使い包み、かくし包み 二つ結び ビン二本包み スイカ包み巻き結び カゴ結び 箱結び シャンパン包み ビン包み 花ギフト包み 丸包み 四つ結び 二枚包み リュック 球包み 長包み 両端包み ブック包み バスケット包み ひっかけ結び 和風リボン包み シャツ包み さげ包み バナナ包み ふくさ結び 三角包み 円形包み お買い物包みと三十種類ほどある。
ボクの田舎では、部落の名前がついた包み方があった。背中に襷掛けに担ぐ時の包み方で沢田(さわた)背負いと言った。沢田部落は、学校のある中心部から遠くにある地域の為、荷物を持つ時 出来るだけ身体に負担のない包み方を皆がしていたので付けられたと思われる。
ふろしきの名称は、室町時代に風呂に入るとき着替えで敷いた布に由来する。古くは、奈良時代から布で物を包む文化があった。
数年前に小池百合子が環境大臣をしていた時、環境問題を考え「もったいないふろしき」の活用を提案したことがある。
環境省は、日本の伝統文化であるふろしきが、循環型社会を考え、レジ袋や紙袋に代わるものとして提案したのだ。
提案はよかったが、便利になれた現在人にふろしきの活用は難しかった。環境大臣が自ら宣伝して未だにふろしきが普及していないので、その難しさが分かる。
広げたふろしきを見ながらボクは考えた。あっちこっちで大風呂敷を広げることはあっても実際にふろしきを使うことはなかった。これからは、環境を考え、粘土の再生だけでなく 買い物などにも積極的に使っていこう。

待合室に壷を数個飾ってあるクリニックがある。院長が集めた壷だ。備前や信楽の中に沖縄の魚文(魚模様)の壷があった。ボクは、院長に金城次郎ですか?と訊くと「そうだ。よく知ってるね 沖縄で仕事をした時、金城次郎さんから直接頂いたんだ」という。金城次郎は、沖縄を代表する作家で人間国宝だ。この壷は、小ぶりだが風格がある。
待合室の壁に花の絵が掛けてあった。これが金城次郎の魚文壷と同じように風格があり、オーラを放っている。院長から事務員の父親がプロの画家でその人の作品だと教えてもらった。
この事務の方から「五月の連休に展示会がある。良かったら展示会の招待状を差し上げましょうか」と言われた。
上野公園の東京都美術館に出かけた。
陶芸を始めて、絵画を観る機会が多くなった。
絵を見ることが前より増えたが未だに観かたが分からない。
ボクは、大橋巨泉著「大橋巨泉の美術超シロウト的鑑賞ノート」の本を読んだ。
大橋巨泉は、ゴルフや競馬 マージャンにジャズ 英語と趣味が多彩だが絵や工作は、子供の頃から苦手だったらしい。
十年ほど前にゴルフ場も競馬場も少ないスペインに出かけたとき、することがなくマドリッドのプラド美術館に入った。
友人の石坂浩二氏から鑑賞法は、「本物をじっくり見るだけ」とアドバイスをもらっていた。
本物の前に立ち、何か伝わってくるならば、立ち止まり、会話が成立すればそれを楽しむ。シンプルな鑑賞方法だ。
大橋巨泉は、この時から絵画に はまったと本に書いてあった。
ボクも大橋巨泉の鑑賞法を真似て絵の前に立ち一つひとつ鑑賞した。なかなか会話が成立する作品に出会えなかった。
その中で招待状を頂いた作家の作品「ケルトの老騎」の前で時間をかけて立ち止まった。緑の色調に何の変哲のない老人が描かれている。
困ったことに伝わってこないのだ。
仕方がなく他の作品も一通り全部観て美術館を出た。
作品の多さに花酔い状態でフラフラしながら帰宅した。
インターネットで「ケルトの老騎」の意味を調べた。ケルトは、アイルランドの勇猛な軍隊を有していたと知った。描かれていたのは、ケルトの英雄の年老いた姿を描いたものと思われる。
画家とこの絵の老人との関係は分からないが年老いた画家が自身を描いたものでないかと勝手に想像してみた。穏やかな表情に年老いた男の寂しさが漂っていた。
ボクの網膜に残った映像が蘇って来て、じわっと伝わってくるものが感じられた。
待合室の壁に花の絵が掛けてあった。これが金城次郎の魚文壷と同じように風格があり、オーラを放っている。院長から事務員の父親がプロの画家でその人の作品だと教えてもらった。
この事務の方から「五月の連休に展示会がある。良かったら展示会の招待状を差し上げましょうか」と言われた。
上野公園の東京都美術館に出かけた。
陶芸を始めて、絵画を観る機会が多くなった。
絵を見ることが前より増えたが未だに観かたが分からない。
ボクは、大橋巨泉著「大橋巨泉の美術超シロウト的鑑賞ノート」の本を読んだ。
大橋巨泉は、ゴルフや競馬 マージャンにジャズ 英語と趣味が多彩だが絵や工作は、子供の頃から苦手だったらしい。
十年ほど前にゴルフ場も競馬場も少ないスペインに出かけたとき、することがなくマドリッドのプラド美術館に入った。
友人の石坂浩二氏から鑑賞法は、「本物をじっくり見るだけ」とアドバイスをもらっていた。
本物の前に立ち、何か伝わってくるならば、立ち止まり、会話が成立すればそれを楽しむ。シンプルな鑑賞方法だ。
大橋巨泉は、この時から絵画に はまったと本に書いてあった。
ボクも大橋巨泉の鑑賞法を真似て絵の前に立ち一つひとつ鑑賞した。なかなか会話が成立する作品に出会えなかった。
その中で招待状を頂いた作家の作品「ケルトの老騎」の前で時間をかけて立ち止まった。緑の色調に何の変哲のない老人が描かれている。
困ったことに伝わってこないのだ。
仕方がなく他の作品も一通り全部観て美術館を出た。
作品の多さに花酔い状態でフラフラしながら帰宅した。
インターネットで「ケルトの老騎」の意味を調べた。ケルトは、アイルランドの勇猛な軍隊を有していたと知った。描かれていたのは、ケルトの英雄の年老いた姿を描いたものと思われる。
画家とこの絵の老人との関係は分からないが年老いた画家が自身を描いたものでないかと勝手に想像してみた。穏やかな表情に年老いた男の寂しさが漂っていた。
ボクの網膜に残った映像が蘇って来て、じわっと伝わってくるものが感じられた。
陶芸を始めた頃、六十歳で政界を引退して神奈川県湯河原に陶芸工房を開いた元総理 細川護煕さんの生活記事を読んだ。
細川さんの生活は、晴耕雨陶の日々と紹介されていた。工房の近くに畑を借り、野菜を作っている写真が紹介されていた。
工房に三坪ほどの庭がある。三月頃までは、前に住んでいたおばあちゃんが育てたバラや水仙が芽をだしタンポポなどの野花が咲き、毎週工房に行くのが楽しみだった。
四月の中旬から工房に行くと花より雑草の生長が速くなり恐怖を感じ始めた。
このまま夏を向かえると作陶より草とりに追われそうな気がした。ボクの作陶は、週末にしかできない。唯ですら時間がないのだ。草取りで時間をつぶしてなるものか。ゴールデンウイークは、雑草の生えないガーデニング造りをしようと思った。
ガーデニングには、これまで全く縁がなかった。さて 何からやってよいかわからない。とりあえず草取りをした。ホームセンターに行き店員に相談した。レンガで間仕切りをし、花壇以外の場所には、防草シートを張りその上に砂利を敷いたら良いとアドバイスをもらった。
一番安いレンガを55枚と川砂利20kgを10袋購入して取り掛かった。
猫の額ほどの広さだが重労働だ。
バラやアジサイを移動させレンガを並べるだけで丸一日かかった。
川砂利を敷きつめ出来上がった。初めての仕事にしては、庭師が手がけたように素晴らしいできである。
コーヒーを飲みながら眺めていると花壇では、もったいないと思い始めた。
定年後 家庭菜園を始めた先輩がいる。大分の幼友達も五十を過ぎた頃から趣味で家庭菜園を始めたと聞いていた。
ボクも定年後は、工房の近くに畑を借りて園芸をしたいと考えている。器を作りながら自給自足の生活をすることがボクの理想とする生活スタイルだ。
隣の庭には、野菜の苗が袋に入った土のまま植えられている。早速 作り方を教えてもらった。
菜園用の土の袋を立て、開いた口を折り曲げて一袋につき一苗植えれば良いそうだ。
ホームセンターにある植木屋で畑の土と苗を購入した。工房から見た花壇の風景を考え家庭菜園専用のプランターに植えることにした。如雨露(じょうろ)を買い体制は整った。
茄子三本 トマト三本 ピーマン二本 キュウリ三本の苗を植えた。
規模は小さいが晴耕雨陶の生活が始まった。

細川さんの生活は、晴耕雨陶の日々と紹介されていた。工房の近くに畑を借り、野菜を作っている写真が紹介されていた。
工房に三坪ほどの庭がある。三月頃までは、前に住んでいたおばあちゃんが育てたバラや水仙が芽をだしタンポポなどの野花が咲き、毎週工房に行くのが楽しみだった。
四月の中旬から工房に行くと花より雑草の生長が速くなり恐怖を感じ始めた。
このまま夏を向かえると作陶より草とりに追われそうな気がした。ボクの作陶は、週末にしかできない。唯ですら時間がないのだ。草取りで時間をつぶしてなるものか。ゴールデンウイークは、雑草の生えないガーデニング造りをしようと思った。
ガーデニングには、これまで全く縁がなかった。さて 何からやってよいかわからない。とりあえず草取りをした。ホームセンターに行き店員に相談した。レンガで間仕切りをし、花壇以外の場所には、防草シートを張りその上に砂利を敷いたら良いとアドバイスをもらった。
一番安いレンガを55枚と川砂利20kgを10袋購入して取り掛かった。
猫の額ほどの広さだが重労働だ。
バラやアジサイを移動させレンガを並べるだけで丸一日かかった。
川砂利を敷きつめ出来上がった。初めての仕事にしては、庭師が手がけたように素晴らしいできである。
コーヒーを飲みながら眺めていると花壇では、もったいないと思い始めた。
定年後 家庭菜園を始めた先輩がいる。大分の幼友達も五十を過ぎた頃から趣味で家庭菜園を始めたと聞いていた。
ボクも定年後は、工房の近くに畑を借りて園芸をしたいと考えている。器を作りながら自給自足の生活をすることがボクの理想とする生活スタイルだ。
隣の庭には、野菜の苗が袋に入った土のまま植えられている。早速 作り方を教えてもらった。
菜園用の土の袋を立て、開いた口を折り曲げて一袋につき一苗植えれば良いそうだ。
ホームセンターにある植木屋で畑の土と苗を購入した。工房から見た花壇の風景を考え家庭菜園専用のプランターに植えることにした。如雨露(じょうろ)を買い体制は整った。
茄子三本 トマト三本 ピーマン二本 キュウリ三本の苗を植えた。
規模は小さいが晴耕雨陶の生活が始まった。

医薬コラムニストの西寺桂子さんからゴールデンウイークに那須の別荘に遊びに来ないかと誘いがあった。
カミサンと東京駅から東北新幹線に乗り、那須塩原駅で下車した。
前日 西寺さんからメールで待合場所は、駅の階段を降りたタクシー乗り場の近くで、赤い車に乗った美女が手を振っていると書いてあった。消防自動車のような赤い車がぼくらを待っていてくれた。
西寺さんの運転暦は、五十歳を過ぎて免許を取ったので短い。運転暦四十年のボクは、他の人の運転する車に乗るのが怖い。助手席にはカミサンに座ってもらい、ボクは後ろの席に座りシートベルトをきつく締めた。
真直ぐな那須街道を猛スピードで突っ走った。街道の新緑は、怖さを忘れるほど五月の風に揺れて気持ちがいい。高原の景色は、駅の標高300メーターから600メーターまで上がっていくため、木々の色が変わっていく。はなみずきの街路樹から桂の街路樹になり赤松林を抜け落葉広葉樹林に変わった。
三十分ほど走るとぼくらが泊まる貸し別荘「オクマン」に着いた。車から降りると黄色いタンポポの花が絨毯を広げたように咲いていた。どこからどこまでが駐車場か分からないように一面タンポポ畑になっている。
オクマンから歩いて3分のところに西寺さんの別荘がある。
別荘は、大きな丸太でできていた。
リビングから庭のブナやミズナラ コナラの林が見える。新緑の林を通りぬけた風が気持ちいい。庭の林から山菜が採れる。
西寺さんは、庭からコシアブラ、タラの芽、コゴミ、三つ葉、ノビル、野生のネギ、野生のニラ、フキ、コバギボシ、ハリギリ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウ、行者ニンニク、 ヤマウド、山椒、シソ、ユキノシタ、ヨモギ、アサツキなどを摘み季節ごとに楽しんでいる。
都会で育った西寺さんだが山の中で育ったボクより山菜のことを良く知っている。
本で調べるだけでなく山菜通のお友達がいて教わっている。
西寺さんは、製薬会社の宣伝部の部長をしていた時、宣伝紙「SCOPE」の編集長も兼ねていた。SCOPEに連載されたエッセイ見川鯛山著「医者ともあろうモノが」は、那須高原が舞台になっている。この中に登場した大工の六さんが西寺さんの山菜の先生だ。
先生から教わるだけでなく、誰よりも山菜に対するチャレンジ精神が旺盛だ。
アザミを食べて顔が曲がるほど苦かった話など聴いているこちらがお腹を壊しそうだ。ボクの田舎では、アザミは、牛も食べなかったような気がする。
本当にお腹が痛くなったことがあると言っていたから このチャレンジ精神は、並でない。
西寺さんの話によると 別荘の庭には、花がかわいくて、かわいそうで食べられない山菜のカタクリ、ニリンソウ、ヤマユリ、ワサビ、ユキザサ、ツユクサ、シュンランがある。
あることがわかっているけどまだ食べてない山菜のノコンギク、ユウガギク、ハハコグサ、オオバコ、リョウブ、ワサビ、トリアシショウマ、サラシナショウマ、アケビ、アマドコロ、オオウバユリ、似た種があるけれど、本人かどうか確認できてない山菜のヤブレガサ、モミジガサなどがあるそうだ。
西寺さんは、この豊かな自然環境の中で執筆活動をしている。
玄関を出ると北北西に那須五峰の茶臼岳(那須岳)、朝日岳が望める。那須岳や朝日岳は、「医者ともあろうモノが」に度々登場した。
那須岳を眺めていると 当時の診療所と那須高原で暮らす人々の様子が蘇ってきた。
見川医院は、現在 長男が継いでいる。若先生は、父親の鯛山先生と同じように那須高原の人々から頼りにされた活動をしている。

カミサンと東京駅から東北新幹線に乗り、那須塩原駅で下車した。
前日 西寺さんからメールで待合場所は、駅の階段を降りたタクシー乗り場の近くで、赤い車に乗った美女が手を振っていると書いてあった。消防自動車のような赤い車がぼくらを待っていてくれた。
西寺さんの運転暦は、五十歳を過ぎて免許を取ったので短い。運転暦四十年のボクは、他の人の運転する車に乗るのが怖い。助手席にはカミサンに座ってもらい、ボクは後ろの席に座りシートベルトをきつく締めた。
真直ぐな那須街道を猛スピードで突っ走った。街道の新緑は、怖さを忘れるほど五月の風に揺れて気持ちがいい。高原の景色は、駅の標高300メーターから600メーターまで上がっていくため、木々の色が変わっていく。はなみずきの街路樹から桂の街路樹になり赤松林を抜け落葉広葉樹林に変わった。
三十分ほど走るとぼくらが泊まる貸し別荘「オクマン」に着いた。車から降りると黄色いタンポポの花が絨毯を広げたように咲いていた。どこからどこまでが駐車場か分からないように一面タンポポ畑になっている。
オクマンから歩いて3分のところに西寺さんの別荘がある。
別荘は、大きな丸太でできていた。
リビングから庭のブナやミズナラ コナラの林が見える。新緑の林を通りぬけた風が気持ちいい。庭の林から山菜が採れる。
西寺さんは、庭からコシアブラ、タラの芽、コゴミ、三つ葉、ノビル、野生のネギ、野生のニラ、フキ、コバギボシ、ハリギリ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウ、行者ニンニク、 ヤマウド、山椒、シソ、ユキノシタ、ヨモギ、アサツキなどを摘み季節ごとに楽しんでいる。
都会で育った西寺さんだが山の中で育ったボクより山菜のことを良く知っている。
本で調べるだけでなく山菜通のお友達がいて教わっている。
西寺さんは、製薬会社の宣伝部の部長をしていた時、宣伝紙「SCOPE」の編集長も兼ねていた。SCOPEに連載されたエッセイ見川鯛山著「医者ともあろうモノが」は、那須高原が舞台になっている。この中に登場した大工の六さんが西寺さんの山菜の先生だ。
先生から教わるだけでなく、誰よりも山菜に対するチャレンジ精神が旺盛だ。
アザミを食べて顔が曲がるほど苦かった話など聴いているこちらがお腹を壊しそうだ。ボクの田舎では、アザミは、牛も食べなかったような気がする。
本当にお腹が痛くなったことがあると言っていたから このチャレンジ精神は、並でない。
西寺さんの話によると 別荘の庭には、花がかわいくて、かわいそうで食べられない山菜のカタクリ、ニリンソウ、ヤマユリ、ワサビ、ユキザサ、ツユクサ、シュンランがある。
あることがわかっているけどまだ食べてない山菜のノコンギク、ユウガギク、ハハコグサ、オオバコ、リョウブ、ワサビ、トリアシショウマ、サラシナショウマ、アケビ、アマドコロ、オオウバユリ、似た種があるけれど、本人かどうか確認できてない山菜のヤブレガサ、モミジガサなどがあるそうだ。
西寺さんは、この豊かな自然環境の中で執筆活動をしている。
玄関を出ると北北西に那須五峰の茶臼岳(那須岳)、朝日岳が望める。那須岳や朝日岳は、「医者ともあろうモノが」に度々登場した。
那須岳を眺めていると 当時の診療所と那須高原で暮らす人々の様子が蘇ってきた。
見川医院は、現在 長男が継いでいる。若先生は、父親の鯛山先生と同じように那須高原の人々から頼りにされた活動をしている。

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