2016/09/26

TITLE:「 青渭神社例大祭のお知らせ 

 青渭神社例大祭が10月2日(日)に開催されます。14時から15時30分に青渭獅子があり、法螺貝と歌で参加します。19時30分頃から奉納演芸会の村芝居が行われます。演目は「水戸黄門」ボクは悪代官を演じます。お近くの方はどうぞ悪代官の大根ぶりをご覧ください

 

「そんなわけで準備と稽古で忙しく今週のエッセイはお休みです!」

                                       安東

スポンサーサイト
2016/09/19

TITLE:「 老人の日のボク 

 今日、9月19日は老人の日だそうだ。老人は、高齢者と呼ばれ法律では65歳以上。ボクは今年67歳になった。2年前から老人である。

子供の頃、この日に敬老会があって多くの老人が学校の講堂に集まった。ボクの育った村では、昭和30年代まで公民館がなく小学校の講堂が集会場になっていた。この頃は60歳以上が敬老会に出席していたのではないかと思うが、老人はもっと御爺さんらしく貫禄があった。

 今日は村芝居の稽古がある。メンバーのほとんどが老人だが歳を感じさせない。ボクも細い黒ジーンズとティーシャツで参加する。

老人会って、あるのかなあ!村芝居の稽古の後は飲み会なのでこれがボクらの老人会か。子供の頃見た老人より貫禄のない仲間たちだが「まあ、いいか」

2016/09/12

TITLE:「 教えられる身になって学んだこと 

 ボクの通っている弓道道場は、稲城市の体育館にある。稲城市総合体育館は山の上にあり工房から自転車で30分ほどかかる。ほとんど自転車を押して坂道を登るのだが着いたときには汗びっしょり、体力の半分を消耗している。

 初心者は日曜日の午後稽古ができる。「本日休房」の札を工房の入り口に下げていそいそと道場に向かう。道場に入る前、道着に着替える。弓道の道着は白い上着に黒い袴、白い足袋。上座に一礼して入場すると有段者と思える方がスーッと寄って来て袴の着方が間違っていると道場の外に連れ出される。袴には前紐と後ろ紐があってこれが初心者には難解なのである。動画を見て完璧に着けているはずなのだが間違っていると言う。袴なんかズボンの仲間なので「まあ、こんなものでいいか」と思うのだが有段者の先生からみると違うらしい。ほとんど先生に着付けしてもらった道着姿で入場する。

 一番弱い八キロの弓を準備していると別の有段者と思える人がスーッと寄って来て弦と弓をチェックする。準備ができて巻き藁(藁で出来た的)に向かうとまた別の有段者と思える人がスーッと寄って来て構え方を指導してくれる。

 弓道は弓を引くまで歩き方から座り方など覚えることが多い。矢が的に当たれば良いじゃないかと簡単に考えているわけではないのだが最初から所作を細かく言われても覚えられるものでない。老体に鞭打ち坂道を上がって来て気力が薄れているところにいろいろな指摘が飛んでくる。矢を放つころには集中力がなく矢が弦からポロポロと落ちる。その頃になると何故か有段者が近づかなくなる。

 矢を一度も的に向かって引かないままボクは上座に一礼して道場をでる。体育館からの帰りは下り道。ボクは矢のようなスピードで工房に引き返す。

 工房に帰りボクは教えられる難しさを考える。陶芸教室を主催して全くの未経験者に器の作り方を教える。ボクは次から次に新しいことをしゃべっていることがある。今まで嫌な顔をせずボクの話を聞いていた生徒さんの中には全く理解できずに帰った人がいたのではないか。嫌な思いをさせたのではないか。初心者に教えるとき相手の理解度を見ながら整理して話さなければならないことを教えられる身になって改めて学んだ。

2016/09/04

TITLE:「 ロマン 

 稲城市在住の若い陶芸家から講演会の誘いがあった。稲城の土と稲城の梨灰で作陶している陶芸作家の話と言う。演者は福島テツ子さん、御年八十ウン歳という。偶然発見した縄文土器の破片から稲城の土を使った陶芸にのめり込んだそうだ。

 稲城市は奈良時代瓦の産地だった。やきもの出来る粘土層がある。稲城の粘土は耐火度が低く1000度までとされている。江戸時代後期、玉川焼というやきものがあった。資料による1000度で焼ける楽焼のようである。

 講演の後、福島さんから作品を見せていただいた。稲城の粘土と稲城の梨灰で作った作品の中に金色に発色したものがあった。福島さんは「稲城の粘土には稲城の梨灰が相性がよい。どこにもない陶器です」と嬉しそうに語った。

 ボクは福島さんの話を聞きながら三重県の川喜多半泥子を想いだした。川喜多半泥子はアマチア陶芸界の巨匠と仰がれている。東の北大路魯山人に対して西の川喜多半泥子と言われる人。半泥子も自分の住む町の山から採ってきた土で作陶した。三重県津市にある石水博物館で師の作品を観たことがある。割れた水差しや茶碗にもの凄いエネルギーを感じた。

 福島さんの作品に半泥子と同じエネルギーとロマンを見た。