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安東道正

Author:安東道正
サラリーマンのときに綴ったエッセイ「窓際のロクロ挽き」と「窓際の陶芸家」,定年後に綴った自伝小説「陶芸家弓さん」は本になりました。陶芸クラブいなぎで1冊500円で発売中。
自伝小説「つりあがりもん」に続き「悪戦苦陶、陶芸家ロクさん」を掲載します。
陶芸クラブいなぎ
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子どもミュージカルと座長 

 夜明けから「しゃわしゃわしゃわ」とクマゼミのクマさんは、六さんの住んでいるマンションの壁にとまってせわしく鳴く。隣のビルに反響して鳴き声は段々大きくなる。まるでカラオケで歌っているオッサンのような大きな声である。六さん「クマさん、頼むよ!暑くて眠れないのが益々寝不足になるじゃないか」とブツブツ言いながら寝床から這い出してきた。

 クマさんの鳴きやむお昼過ぎ、六さんは電車でとなり町の府中の森芸術劇場に行った。電車の中は冷房が効いて気持ちが良いが一歩駅に出ると暑さがまとわりついてきた。商店街の日陰になっているところも見つけながら会場までたどり着いた。

 稲城子どもミュージカル25周年記念公演「魔女バンビ」の受付に長い行列ができていた。行列の最終列に並びながら昨年10月に行った北海道、大空町の姉妹都市公演を六さんは思い出した。出発前、子ども24名の引率で弓さんは心配した。団員は高校生から幼稚園までいる。途中で、はぐれる子どもがいたらどうしょう。具合の悪い子どもがでたらどうしょうか。と老人特有の心配病がでていた。夕方、羽田空港に集合した。集合した子どもたちは、はしゃぐこともなく静かに搭乗を待った。女満別空港に着いた一行は、大空町からきた迎いのバスに乗ってホテルに向かった。ホテルに着くと荷物を降ろして次の日の会場に行った。リハーサルをするという。六さんの心配病は、一気に治ってしまった。次の朝、ロビーに集合した子どもたちは、玄関に出て整列した。六さんは記念撮影だと思って後ろに並ぶと歌の発声練習が始まった。六さんは「音痴のボクが歌うと皆に迷惑がかかると」とブツブツ呟きながら列から外れた。公演が大盛況で終わった次の朝も同じくホテルの前に整列した。今度こそ記念撮影だろう思っていると又歌の稽古が始まった。次の公演の歌の稽古と言った。見ていると付き添いの父兄が指示しているわけでも指導者がいるわけでもない。子どもたちは自主的に行動している。

 六さんは稲城子どもミュージカルの舞台を観るのは4回目になる。毎回子どもたちの演技に泣かされる。最初は子どもが真剣に演技する姿に感動したが観ているうちに演技の素晴らしさに感動している自分がいることに気付かされた。演じることに喜びを知った子供たちは自ら稽古に励んでいる。

 観客を魅了するが、一番魅了されているのが子どもたちの父兄のようだ。父兄の中に自ら役者をやって見たいと劇団に入った人がいる。「子どもたちの楽しそうな姿を見て自分もやり始めたんですよ」と笑った。芝居を始めたお母さんは、六さんが一昨年、ふるさと劇団の研修会に参加した時、一緒に研修を受けたそうだ。一昨年六さんは、所属する村芝居「青渭ざ」の座長になった。座長になった時、少しでも座長らしい役者の「いろは」を覚えようと参加したのである。

 稲城子どもミュージカルは、オーディションなしで入団できる。誰でも参加できる市民劇団である。市民劇団は演じる本人が一番楽しめるのが基本だろう。六さんの所属する「青渭ざ」はその最たる劇団である。根っこの部分は同じはずなのだが二日間4回公演で2000名の観客を集める稲城こどもミュージカルは凄い!

 出演した子どもの役者に見送られながら、六さんは清々しく会場を後にした。

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[2018/08/24 13:14] 未分類 | トラックバック(-) | CM(0)

盆踊りと子どもたち 

 ドン、タカタカタカ、ドンドンドン、タカタカタカタカタカタカ、六三の太鼓のリズムが会場に鳴り響いた。六さんは朝からのドタバタを想いながら「良かった!開催出来て」と胸を撫でおろした。朝6時、会長のヨウさんから台風12号で心配される空模様の一報が入った。「青少年育成会の焼きそばやソーセージの仕入れがあるので午前9時に開催を判断する」とメールが入った。午前9時、「明日と明後日は、台風接近で開催は難しいので今日は開催する」という一斉メールが会長より流れた。午後7時からの予報は70%と雨の確立が高い。六さんは「何とかなるじゃろ」と午後4時に会場に入り受付の準備をする。午後4時には花掛けが届けられ、六さんは慌てた。実行委員すらやったことのない六さんだ。どうしてよいのやら分からない。天気を心配しながらバタバタしていると一人二人と実行委員が集まって来た。六さんは本来の実行委員長に任務に就くことができた。青少年育成のテント、屋台のテントを回り「今日はよろしくお願いします」挨拶をした。

 7時開始の予定を6時半に早めて音楽と太鼓の演奏を始めた。なかなか輪ができなかったが7時半ごろには踊りの輪が出来始め、六さんはほっと一息胸を撫でおろした。DJのカトさんも段々調子を上げ休憩前の午後8時には絶好調になった。子どもにアイスが配られ、実行委員長の挨拶が回ってきた。

 アイスを頬張っている子供たちに向かって話しかけるように「お盆は一年に一度、ご先祖様が天国からお家に帰ってくる行事です。盆踊りは、ご先祖様に『今、こんなに楽しく踊っていますよ。ご先祖様のお陰です』と見ていただく踊りです。幼稚園、保育園のみんな、小学生、中学生、高校生のみんな、輪に入って楽しくおどりましょう」と話した。

 六さんは話終え櫓から降りてビールを飲んでいると小学生低学年の女の子がやってきて「オジサン、ホントにご先祖様は天国にいるの」と訊く。六さんは「いるよ、ご先祖様はみんなのここにいるんだよ」と自分の胸を叩いた。そして「ご先祖様に感謝して踊ろうねと言うと少し安心した顔で輪の中に消えた。六さんは子どもたちが踊る姿を見て「実行委員長をやって良かった。子どもたちが盆踊りの意味を考えてくれた。」とビールを美味しそうに飲みほした。残ったビールの泡を見ていると“あいだみつを”の

「うまれかわり死にかわり

永遠の過去のいのちを受けついで

いまここに自分の番を生きている

それがあなたのいのちです

それがわたしのいのちです」の言葉を思い出した。

 思いにふけっていると何やら軽やかなリズムの曲が聞こえてきた。「ダンシングヒーロー」だ。櫓太鼓の名人、トシさんがいつの間にか櫓から降りて輪の中で踊っている。多くの子どもたちが輪に入り、若いお母さんたちも輪に加わった。元の曲に戻った後、DJのカトさんに「ダンシングヒーロー」のリクエストがあり再び輪が元気づいた。

 盆踊りは平安時代に始まり現在まで続いている。曲は時代に合わせて代わって行って良いのだろう。六さんは輪の中に入って嬉しそうに踊った。

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[2018/08/17 10:34] 未分類 | トラックバック(-) | CM(0)

盆踊り「実行委員長」 

 6月最初の日、東長沼みなみ会の総会が開かれた。六さんは仲間と一杯飲めると思いルンルン気分で出席した。会員は50名以上いるのだが出席していたのはわずか10名くらいだった。会長挨拶、議長選出、事業報告、会計報告が終わり今年の事業計画が発表された。事業計画の中で今年の実行委員長を誰にするかという議案が持ち上がった。いきなり議長のカッちゃんが「六さん、いかがですか」と投げてきた。六さんは「ボ、ボ、ボクはまだ6年目、実行委員もやったことがないぺいぺいです。実行委員長なんかとんでもない」と手のひらを横に振った。六さんの横に座っていたテント屋のターさんが「六さん、ここにいる皆、実行委員長をやったんだ、六さんだってやれるよ。六さんで決まり」と押し付けられて決まった。盆踊りの実行委員長は当日の挨拶をするだけと言うので六さんは安心した。

 会長のヨウさんと打ち合わせをすると学校のグランド、体育館、トイレ借用の手続は実行委員長の役割。小学校のグランドと体育館は市役所の管轄という。その他案内状の印刷から会場近辺へのポスティングまで役割があるそうだ。

 早速、六さんは市役所に行き手続きをし、許可書を持って学校に提出した。市役所の説明によると体育館のカギは中央公民館が管理している。倉庫とトイレのカギは学校の管理という。

 会場の第三小学校周辺と練習会場の青渭神社周辺にお知らせ文を会長と二人でポスティングすると言う。六さんはポスティングをしたことがない。夜7時から手分けして配った。神社周辺は暗くて玄関にあるポストが見つからない。ポストもいろいろな形態があって穴がどこにあるか分からな。穴は前にあったり上にあったり、たまには横にあるタイプもある。「こんな歳になって穴で苦労するなんて!」まだ若かった童貞の頃を思い出しながら呟いた。六さんの呟きが聞こえたのか家の中から「ワンワンワン」と吠えられ、あわてて逃げだした。配り終わり会長のヨウさんに「通報されるんじゃないかとドキドキでしたよ」というと「そうですよ、ボクはいつも黒いシャツを着てやっています」と自分のシャツを指さした。なるほど忍者のような服装である。しかし、忍者の服装じゃ、益々怪しまれるに違いないと六さんは密かに思った。

 大会前日、朝から会場作りが始まった。会場の小学校の校庭に30人の人が集まった。鉄骨の櫓を組み立てる人、テントを組み立てる人と手分けして作業が進んだ。見ていると皆手際がいい。櫓の鉄骨は、建設関係の仕事をしている人。テントは、テント会社の社長、ターさんの指示で動いた。手際が良いはずである。皆プロの集団である。こんな大掛かりなイベントが会員のボランティアで39年続いている。この地域に豊かな人材がそろっている証だろう。プロでないのは実行委員長だけのようだ。

                            次回に続く

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[2018/08/10 20:18] 未分類 | トラックバック(-) | CM(0)

夏祭りと喧嘩 

 「わっせ」「ほいせ」「わっせ」「ほいせ」と六さんは今年も花棒を担いで張り切った。昨年は、肩が痛くなり一区間担げず、情けない思いが残った。痛くならない方法がないか仲間に訊くが担ぎダコを見せて自慢しかなかった。肩パットのようなものはあるのだが何せ暑い時期だ。購入をためらった。密かに半纏の下にバスタオルを忍ばせるという方法があるという情報を得た。祭り好きの威勢のいい連中には、この方法が男らしくないと思っている節があり、自分がやっていても言わないらしい。六さんは男だが69歳、男盛りはとうの昔過ぎ去っていて見えも外聞もないのだ。バスタオルを半纏の下に忍ばせ、六さんが神輿を担ぐと痛くない。祭りのタオルを頭に巻いて意気揚々と前を向き、足は蟹股の八の字に開き、足踏み感覚で少しずつ進む。かっこいいのだ!六さんも担ぎ始めて5年が経ち、少しずつ要領を覚えた。

 一区間の途中くらいから後ろいた威勢のよい若者がやたら六さんの背中を押す。六さんも踏ん張って前に弾き飛ばされないようにするが耳元で「わっせ、ほいせ」と大きく掛け声をかけてくる。どうも「爺邪魔」と言っているように聞こえ始めた。なにくそと踏ん張ったが一区間がもう少しのところで前に追い出されてしまった。

 神輿の外にでて六さんは「チクショウ」と小声で呟く。少し冷静になって神輿を担いでいる人を見るとほとんどが若者だ。それもガタイのいい連中。股引でなくフンドシ姿でかっこいい。

 六さんは5年前のデビューで新人だが何せデビューが遅く役員のような体つきで何処から見ても立派な老人。同じくらいの年齢の人たちは、提灯をもったり団扇をもったりして神輿を見守りながらの行進で担ぐ人は誰もいない。

 11時に宮出しした神輿は、午後4時半に宮入だ。宮入は神輿のクライマックス。日焼けした男たちが四本の担ぎ棒にびっしりと張り付いて「わっせ」「ほいせ」と声を張り上げる。神社の前置かれた台の上で神輿会会長、ヤマさんが掛け声をかける。ヤマさんの身体は押し倒されないように若いものの後ろから支えている。3回4回と押し返され、神輿が奉納された。

 奉納された直後に「この、やろー」と声がして大男二人がつかみ合いの喧嘩になった。傍にいた六さんは、巻き込まれて生垣に落とされそうになったがかろうじて交わし、寸前で逃げた。二人の大男の中に神輿会の若き中心メンバーアキくんが割って入って「ここは納めてください。うちの会長が話を聞きますから」と止めた。

 神輿がどんなものか知らない六さんは驚いたが、祭りと喧嘩は付き物らしく、珍しいことではないようだ。日ごろのうっ憤を晴らすのも祭りの大きな役割なのだろう。六さんの勤めていた製薬会社ではこのような派手な喧嘩は見たことがない。派手な喧嘩はないがもっと陰険な争いは少なくなかった。

 喧嘩も収まり直会が始まった。テントの中でビール泡がはじけ、争った大男二人も笑顔だ。今、各神社の担ぎ手が少なくなり、いろいろな神社が協力して祭りを回る。各神社の担ぎ手は、会長が先頭になって神社に参拝し、帰っていった。

 静かになったテントの中で、神輿会会長、ヤマさんは「今年も無事に終わった」と呟いた。日焼けした横顔に安堵と憂いが漂った。

 お祭りの一ヶ月前から花作り、神楽殿、祭礼門と手作りしてきた。周りの協力を得ながら会長の人間的魅力で率いている。地域の平和はこの人たちの力で繋がっていく。

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[2018/08/03 11:51] 未分類 | トラックバック(-) | CM(0)