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安東道正

Author:安東道正
サラリーマンのときに綴ったエッセイ「窓際のロクロ挽き」と「窓際の陶芸家」,定年後に綴った自伝小説「陶芸家弓さん」は本になりました。陶芸クラブいなぎで1冊500円で発売中。
自伝小説「つりあがりもん」に続き「悪戦苦陶、陶芸家ロクさん」を掲載します。
陶芸クラブいなぎ
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青渭獅子と篠笛 

 青渭獅子のメンバーになって6年目を迎えた六さん。法螺貝はいつでもどこでも一発で音が出せるほど上達した。篠笛はまだまだだが全然鳴らなかった最初の頃からすると安定しないが音は出る。青渭獅子の全体の流れも調子も覚えてきたが歌と舞いは全然だめだ。一昨年、女獅子役のタカさんが高齢の為、「もう誰か代わってくれないとだめだぞ」と言いだした。六さんは舞い手の二軍制を提案し、自ら踊り手を志願した。仲間のアッちゃんと稽古を始めたが六さんもこの時67歳、アッチャンも66歳、充分な高齢である。二人とも全然覚えらず身体が動かない。教えているシゲさんもアキくんも覚えの悪さに呆れ、だんだん教える気がなくなってしまった。

 青渭獅子は、関東地方に伝承されている三匹獅子舞。女獅子1頭、雄獅子2頭が一組になって舞う。一人で獅子頭をつけて踊ることから一人立ち風流(ふりゅう)獅子ともいわれる。

400年続く伝統芸能だ。言い伝えによると戦国時代、戦いで負傷した武将が伝えたとある。江戸時代中期、獅子についての記述があり、それ以前から伝わっていることが推測される。歌の始まりに「京からくだる唐絵の屏風、いちもくさらりと、ひきあまされた」途中に「鎌倉の由比ガ浜なる浜千鳥、波にゆられて、ばんとたつ」とあり、「我らが国で雨も降らぬに雲が立つ、いざされ吾等も花の都へ」とあることから獅子舞は、京都から鎌倉まで大獅子、求獅子、女獅子を天狗が先導する道中記になっている。京都から鎌倉まで行って京に帰ることから鎌倉時代にできた獅子舞と推測される。

 関東一円に伝わった三匹獅子舞も多くが継承できないで途切れたところが多い。六さんの住んでいる稲城市でも五カ所あった獅子舞が青渭神社と穴澤天神社だけになってしまった。青渭獅子も大正4年から昭和11年まで中断した時期があった。伝統芸能が継承できない理由は、様々あろう。主な原因は人口減少と高齢化によるものが多い。

 青渭獅子に今年中学一年生のユウくんが入団してきた。例大祭まで一ヶ月少しの8月末からの稽古に加わった。六さんは、今年の例大祭には間に合わないぞと思った。他のメンバーで舞えるのは今年から奉賛会長になったターさんだけだ。ターさんは「私が女獅子になったら会長が祭りから隠れることになる。三匹獅子舞の女獅子と同じストーリーじゃないか」と言った。みんな頭を抱えた。獅子舞のストーリーでは男の大獅子と求獅子が女獅子の取り合いで喧嘩を始める。そのとき朝霧がおりてきて女獅子が隠されるとある。同じだ、少し不味いぞとみんな思った。獅子舞の次の歌が「嬉しやな、風に霞が吹き上げられて、女獅子、雄獅子が肩を並べる」とある。こちらも獅子舞のストーリーと同じく霞が吹き上げられようにユウくんが現れたのである。

 みんな元気がでてきた。六さんの法螺貝も一段と大きな音を出した。篠笛は相変わらずだが時々、高い音が出る。高い音ならよいが異常に高い音になってみんなの調子を狂わせている。異常が出るとみんな一斉に六さんの笛を見る。

 六さんの笛は少し吹けるようになった時、ネットで買った自前の安物だ。買ってすぐ穴の位置に縦ひびが入った。前のように神社の笛を借りて練習していたが何か落ち着かない。六さんは何でも自分のものが欲しくなる性格のようだ。趣味で篠笛を作っているムラタさんが「六さん、ボクが笛を直してあげる」と言って六さんの笛を持って行った。修理された笛が帰って来た。見ると総巻になっている。総巻の篠笛は高級品で六さんが購入できるような笛ではない。ムラタさんはどうだと言う顔で微笑み「絹糸で巻いてんだよ」と言った。六さんは「こ、これいくらお支払いすればよいんでしょか」とビビった。ムラタさんは「六さんの作ったぐい呑みでいいよ」と笑った。そして「音が出やすいように歌口を少し広げた」と言った。歌口は口を当てる息を吹き込む穴のこと。

 六さんは安物の篠笛が総巻の高級篠笛に変身し高い音が簡単に出始め、篠笛の名人になった気分である。気分屋の六さんのこと、その気になって吹いていると音が異常な高さになり周の調子を乱すほどの音になったのである。篠笛の名人のヨシさんが傍に来て「六さん、獅子舞の笛はオーケストラだから音の調子を合わせなければだめだ」と注意した。

 注意された六さんは下を向き、篠笛は元のように鳴らなくなってしまった。

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[2018/09/21 13:28] 未分類 | トラックバック(-) | CM(0)

座長 

 日曜日の夕方、六さんは工房を4時半に切り上げ青渭神社にママチャリをこいで向かった。工房ではアオさんやトビくんが作陶を続けている。六さんの陶芸教室では、六さんがいなくて各自で作陶できるシステムになっている。六さんがいない方が自由に制作でき、良い作品ができると好評なのだ。

 10月7日、青渭神社例大祭のフィナーレを飾る大役、青渭ざの稽古が仕上げに入って来た。座長の六さんは、ヨシさん、アッチャンにお願いして衣装と小道具を神楽殿に運び込んだ。座員が集まる前に神楽殿の雨戸を開き、舞台を整えた。六さんは、準備をしながら台詞のことが気になった。1月から毎月稽古を重ねているがまだ台本を片手にしながらでないと台詞が出てこない座員がいるのだ。毎回毎回口を酸っぱくして台詞を負ぶえてと言っている、「今日を入れて後3回しかない、大丈夫だろうか」と呟いた。座長になった去年も同じ時期台詞の心配をしたが本番では何とか全員、見事な役者ぶりを発揮した。以前に台詞を忘れた座員がいて芝居が別の意味で笑いを取ったこともあった。「素人芝居と言えそれではいけないのだ」真剣の中で飛んで忘れた台詞は、仕方がなく、それはそれで笑えると六さんは考えている。本番では何とかなるだろう!アドリブで何とかなるだろうでは、全く白けた芝居になってしまう。観に来たお客様に失礼と言うものだ。

 時間になると皆が集まって来た。衣装箱を開けると強烈な樟脳(しょうのう)の臭いが辺りに降り注いだ。本番が終わり仕舞うとき、虫よけに樟脳を入れるのだが虫だけでなくこの臭いで座員も集まらなくなるのじゃないかと座長の六さんは心配になった。青渭ざは高齢の座員が多いため樟脳の臭いが気にならないらしく衣装箱に頭を突っ込んで自分の衣装を探した。衣装を着けカツラを付けると顔が引き締まり、それぞれの役の顔になった。青渭ざは素人集団だが衣装が人を変えるのか、元々芝居が好きな人たちなので才能があるのか、六さんは頼もしく思った。

 神楽殿の雨戸が開き、本番と同じシチュエーションが整っている。立ち位置などの最終チェックをしなくてはならない。台詞は完璧でなくては困るのだ。

 稽古が始まった。舞台に立った黄門さま、助さん、格さん、はち、みんなの手に台本がない。台詞がすらすら出てくる。座長の六さんは、目を丸くして「こ、これはどうなっているんだ」と頬を緩めた。パンダ役のミーちゃんの歌声が益々冴えわたり境内に響いた。代官、越後屋、手下の悪人役も手に台本なしだ。忍者のお銀役、マキさんも手に十字手裏剣を持ち台本なしで立ち回った。マキさんは忍者になりたくて忍者学校に体験入学した人。両手を合わせれば「ドロン」と言って直ぐ消えそうな迫力のある演技だ。

 二回目の稽古に入った。座長の六さんは、客席に降りて立ち位置の確認をした。もちろん六さんは座長なので台本を手に持ったりしない。全部の台詞は頭の中に叩き込んである。手には台本の代わりに蚊取り線香を持っていた。

 立ち位置も座長の指示どおり舞台全体を使っている。役者は舞台の下手からでて上手に流れる。台詞を言う役者が一歩前にでる。台詞を終えた役者は一歩下がる。ほぼ完璧な動きに座長は胸を撫でおろした。

 後は役者一人ひとりが「自分はこの世で一番上手な役者、プロより上手いぞ」と思い込み役になりきる覚悟を持ってもらうことだ。後二回の稽古でどこまでできるか。座長、六さんンの手腕にかかっているぞ!頑張れ、六さん。

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[2018/09/07 11:38] 未分類 | トラックバック(-) | CM(0)