陶芸に関する悪戦苦陶の話
荒城の月(第百三十一話)


五月の下旬に大分へ帰省した。

ボクの故郷は、大分県豊後大野市にある。豊後大野市は、大分県の南部にある市である。2005年3月31日に大野郡5町2村(三重町 清川村 緒方町 朝地町 大野町 千歳村 犬飼町)が合併して発足した。

隣接する市に竹田市がある。竹田市には、岡城という古城があることで有名だ。

名曲「荒城の月」は、土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲だ。滝廉太郎は、子供の頃岡城で遊んだ。荒城のイメージは、岡城だと言われている。

ボクは、竹田市に行く機会があり岡城に立ち寄った。高校を卒業した頃 友人と一度訪れたことがある。その頃の岡城は、自由に出入りできた。石垣の上から張り出した松の景色は、荒城 そのものだった。

四十年前と違い大きな駐車場が完備してあり、入場料が必要になっていた。

切符売り場に綺麗なお嬢さんとおじさんが座っていた。お嬢さんの方で切符を買った。
お嬢さんは、「岡城に来るのは初めてですか」とボクに訊いた。
ボクは「百年位前に一度来ました」と答えた。
綺麗なお嬢さんは、プイと横を向き切符をボクの前に差し出した。

ボクが からかったと思ったようだ。ボクは、からかったつもりでなく、昔の意味で百年と言ったのだ。四十年も百年も大して変わらないではないか。
横に座っていたおじさんは、笑っていた。

岡城は、文治元年(1185年)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が築城したと伝えられている。江戸時代 岡藩を統治した中川氏によって三百年あまり藩の執務が行われた場所である。

ボクは、大手門跡から入り西の丸御殿跡 三の丸跡 本丸跡を見学した。四十年前は、草が伸び放題になり、全く整備されていなかった。

本丸跡のベンチに座り「荒城の月」を口ずさんでみた。

春高楼の花の宴 
   巡る盃影さして 
     千代の松が枝 分けいでし 
         昔の光今いずこ

石垣の松から気持ちの良い風が伝わってきた。

最初に築城して800年、明治4年に取り壊されて130年の時が経っている。

ボクの40年もあっと言う間だったがこのお城から見ると800年もあっと言う間に過ぎたに違いない。

成人して四十年間 ボクにも花の宴があった。巡る盃も経験した。光は、少なかったような気がする

「今からだよ どうしょう花さん」千代の松がボクに微笑んだ。






2008⁄06⁄10(Tue) 21:54   未分類 | Comment(0) | Trackback(0) | ↑Top


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プロフィール

Author:どうしょう花
サラリーマン生活が残り一年になりました。
宮崎での単身赴任時代に始めた陶芸が十年になります。
昨年 年末に窯を持ちプロとしての環境が整いました。
サラリーマン生活を悔いのないように全力でラストランしたいと思います。
週末は、陶工への道にむかい励みます。
還暦前の老人が悪戦苦闘している日々を「どうしょう花」がエッセイにして毎週水曜日に掲載致します



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