六月の初め 福岡県のやきものの里 小石原焼に行った。
大分県竹田市から久住町をとおり久住高原をとおる。右前方に九重連山を望む。左方向に薄青い色をした九州山脈の祖母山 傾山を望む。しばらく走ると左方向に阿蘇五岳が望める。瀬の本高原でやまなみハイウエーを横切り黒川温泉の方向に車を走らせた。
黒川温泉から杖立て温泉 松原ダムを経由して日田市に到着した。
新緑の山並み 棚田に水が張られ風景は、昔のままだ。
社会に出た頃 大分県日田市で仕事をした。四十年前 日田市から実家への帰省は、いつも このルートを通った。
小石原は、福岡県の南東部に位置し、標高500メ−トルの山間にある。日田市から車で一時間の距離だ。
この頃のボクは、茶碗作りに興味がなかったが小石原には、度々 足を運んだ。
ロクロを回している陶工を見てカッコイイと思ったがやろうとは、夢にも思わなかった。
四十年前の小石原は、田舎の集落だった。農家の納屋に作業場があり庭に手板に乗った器が天日干されていた。いつも唐臼の音が響き長閑な集落だった。
長閑な集落だったが五月の陶器市には、多くの人で賑わい、集落全体に活気があった。この頃の小石原は、昭和三十年代の後半に始まった民陶ブームの最中で活気のあるやきものの里だった。
人々は、大らかで茶碗や花瓶をほしいといえば安く分けてくれた。たまには、大きな花器をただで貰ったこともある。
灰被りの花器が工房に転がっていた。「持って行っていいよ」と言われたが価値が分からず貰わなかった。陶芸を始めた今 ボクは惜しい事をしたと思っている。
現在 小石原には、五十余りの窯元が操業している。
小石原の歴史は、江戸時代に遡る。小石原焼は、筑前(北九州市)の藩用窯として始まった高取焼と中野(小石原)焼から始まった二系統がある。
小石原焼は、生活に役に立つ「用の美」を追求してきた。その特徴は生乾きの時に紋様を彫る飛びカンナ、刷毛目、櫛目、流し掛け、指描、打ち掛けといった装飾技法がある。
かめや壺、鉢、すり鉢、徳利といった生活雑器を主に作っている。色も茶色やグレーの渋い色が多かった。
四十年前は、どこの窯元も同じ小石原焼の特徴をもったやきものだった。
昭和三十年後半から始まった民陶ブームが去り、窯元も世代が代わった。
今回 三軒の窯元を訪ねた。ギャラリーに並んだ作品は、小石原の特徴を残し現代的な雰囲気をかもしていた。色もグレーや茶色の渋い色から青や赤の明るい色が取り入れられていた。
伝統を背負いながら新しい時代のニーズに応える若い作家の息吹が聞こえた。

大分県竹田市から久住町をとおり久住高原をとおる。右前方に九重連山を望む。左方向に薄青い色をした九州山脈の祖母山 傾山を望む。しばらく走ると左方向に阿蘇五岳が望める。瀬の本高原でやまなみハイウエーを横切り黒川温泉の方向に車を走らせた。
黒川温泉から杖立て温泉 松原ダムを経由して日田市に到着した。
新緑の山並み 棚田に水が張られ風景は、昔のままだ。
社会に出た頃 大分県日田市で仕事をした。四十年前 日田市から実家への帰省は、いつも このルートを通った。
小石原は、福岡県の南東部に位置し、標高500メ−トルの山間にある。日田市から車で一時間の距離だ。
この頃のボクは、茶碗作りに興味がなかったが小石原には、度々 足を運んだ。
ロクロを回している陶工を見てカッコイイと思ったがやろうとは、夢にも思わなかった。
四十年前の小石原は、田舎の集落だった。農家の納屋に作業場があり庭に手板に乗った器が天日干されていた。いつも唐臼の音が響き長閑な集落だった。
長閑な集落だったが五月の陶器市には、多くの人で賑わい、集落全体に活気があった。この頃の小石原は、昭和三十年代の後半に始まった民陶ブームの最中で活気のあるやきものの里だった。
人々は、大らかで茶碗や花瓶をほしいといえば安く分けてくれた。たまには、大きな花器をただで貰ったこともある。
灰被りの花器が工房に転がっていた。「持って行っていいよ」と言われたが価値が分からず貰わなかった。陶芸を始めた今 ボクは惜しい事をしたと思っている。
現在 小石原には、五十余りの窯元が操業している。
小石原の歴史は、江戸時代に遡る。小石原焼は、筑前(北九州市)の藩用窯として始まった高取焼と中野(小石原)焼から始まった二系統がある。
小石原焼は、生活に役に立つ「用の美」を追求してきた。その特徴は生乾きの時に紋様を彫る飛びカンナ、刷毛目、櫛目、流し掛け、指描、打ち掛けといった装飾技法がある。
かめや壺、鉢、すり鉢、徳利といった生活雑器を主に作っている。色も茶色やグレーの渋い色が多かった。
四十年前は、どこの窯元も同じ小石原焼の特徴をもったやきものだった。
昭和三十年後半から始まった民陶ブームが去り、窯元も世代が代わった。
今回 三軒の窯元を訪ねた。ギャラリーに並んだ作品は、小石原の特徴を残し現代的な雰囲気をかもしていた。色もグレーや茶色の渋い色から青や赤の明るい色が取り入れられていた。
伝統を背負いながら新しい時代のニーズに応える若い作家の息吹が聞こえた。

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