2017/06/01

TITLE:「 信楽焼の旅、忠六窯 

 展示会の準備を一旦停止して滋賀県の信楽に向かった。新幹線の車窓を眺めながらこの一ヶ月の慌ただしを顧みた。芸文連の総会と理事会の準備、教室の展示会の準備、少年少女合唱団の演奏会、他に会合が二つ。サラリーマン時代、3つくらいの仕事を抱えて走りながらこなした。それが当たり前だったが今は老後人生、ゆっくりする予定だった。「意に反して今年からサラリーマン時代に使っていた手帳に戻した。これじゃサラリーマン時代と同じじゃないか!老後はどこに行った」ボクは景色に向かって呟いた。

 京都でJR琵琶湖線に乗り換える。車窓の景色も空気も段々良くなる。草津でJR草津線に乗り換え、貴生川から信楽高原鐡道で信楽に到着する。ホームで大勢のタヌキに迎えられる。タヌキは「他を抜く」と言って商売の縁起物だそうだが、老人のボクは競争したくないのであまり関わりたくない。そうはいうが大きなお腹だして、小さなチンチンさげて愛嬌のある顔だから許してやろう。東京をでて5時間、ボクはすっかり本来の68歳のお爺さんに戻った。

 信楽駅の売店で今夜泊まる宿情報を訊く。売店のオバチャンは「ホヤな、ペンションシガラキがよい」と教えてくれた。ペンション紫香楽の女将から忠六苑を紹介され工房を訪ねる。土の再生中だった古谷博文氏から話を聞けた。

 信楽焼は日本六古窯の一つ、今から千二百年前、聖武天皇が紫香楽の宮として造営された時、信楽の土を使って瓦を焼いたのが始まり。「忠六」は、先代の名前。古谷氏は父の後を継いでいる。

 信楽の粘土の話、昔の作陶風景を話してくれた。古谷さんは、小学生から家業との手伝いをした。学校から帰ると粘土を運び、作品を運ぶ手伝いをした。

 工房には古いロクロがあり、使い方を説明した。電気の無いときロクロは手ロクロとか蹴ロクロが使われた。信楽では別の方法でロクロが廻された。ロクロの円盤の下に縄をまいて別の人が廻した。大物を作るとき、人間がロクロの下に入って足で廻した方法に似ている。信楽は山の上にあり寒いところだ。ロクロの手桶の下に七輪を置き、水を温める方法も見せてもらった。

 古谷さんの作品は自然釉の灰かぶり、緋色などの特徴を活かした代表的な信楽焼だ。緋色のぐい呑みを一個購入して忠六窯を後にした。

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