2017/06/16

TITLE:「 信楽の旅、衰退産業 

 忠六窯をでてプラプラと陶美通りを歩く。小さな工房の前に年配のオジサンが植木鉢に水をやっていた。ボクが「工房を見せていただけますか」と声を掛けると「もう、歳だからやっていないんだよ」と言った。そして「まだ頼まれた仕事が残っているんだが」と少し悔しそうな顔をした。工房はそのままになっていていつでも仕事のできる状態だった。80歳を超えた陶工は、まだ工房をたたむのには、踏ん切りがつかないようだ。気の毒だが人には年齢と言う限界がある。陶芸は体力のいる仕事だ。

 老人の工房を後にして歩く。閉めているお店や工房が目立つ。大きな工房の扉が開いていた。リクライニングシートでたばこを吹かしている中年の男性がいた。工房を見せてもらえるか訊ねると「もうやっていないんだ」と気だるくそうに振り向いた。東京で陶芸教室をやっていることを告げると工房を案内してくれた。二階にロクロを置いた仕事場があり、大きな土練機があった。土練機はまだまだ新しく使えるものだった。主は「車一台分の値段がしたんだがね。使っていないとだめだね」と言った。話を聞くとここにきて注文が全くなく、仕事として成り立たなくなったそうだ。

 信楽焼は、日本六古窯の一つ古くから窯業が盛んな町だ。中世には窖窯で壺、甕、擂鉢など日用品が作られた。室町、桃山時代以降は茶道具が生産され茶人や文化人から珍重された。江戸時代には茶壺、土鍋、徳利、水甕などの日常雑器が生産された。幕末には陶器製灯明具の一大産地だった。明治時代には新しく開発された「なまこ釉」を使った火鉢が大量生産されて全国の家庭で使われた。その後、電気や灯油の普及で火鉢の需要がなくなり盆栽や観葉鉢に品種転換をする。

 時代の変遷で壺、甕、擂鉢、火鉢の需要はなくなり、日用雑器も外国から安い品物が輸入されるため注文が少ない。これらは信楽だけでなく全国どこの窯業地も同じ状況にある。

 重い気持ちでトボトボ歩いていると人の気配のする工房があった。重蔵窯で作業している方から話が聞けた。重蔵窯の代表今井広重さんだ。今井さんの工房ではタヌキの置物も壺も甕もなく手洗い鉢が並べられていた。今井さんは「やきものが衰退しているというが時代にあったニーズを探さなくてはいけない。ここにいてはだめなのです。私は東京ビックサイトで行われる『FOOMA JAPAN2017』などに出展して関係する会社の人やお客さんから話を聞くことにしている」と話し、まだまだいろいろな需要があると言った。今井さんの手洗い鉢には「利休信楽手洗い鉢」と命名されていた。

 今井さんの話を聞き、明るい足取りで今日の宿、「ペンション紫香楽」に戻った。

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